あれこれ調べている中で、
出会った表現(というか概念というか)が、これ;
sacralized everydayness
「聖化された毎日性」ですが、
なんでもないような日常を、
かけがいのないもの、聖なるもの、と捉えてゆく態度が、
この背景にあるわけです。
かつては、
「聖的なこと」は、「日常的なこと」と対立関係にありました。
日々の生活があり、それに対して、
例えば週に一度教会で祈る。
これは「聖的」な行為だったわけです。
ただ、日本(だけではありませんが)の郊外などでは、
週に一度行くのは宗教施設ではなく、モールだったりするわけです。
それは、非宗教化された宗教的行為だと言えるでしょう。
この行為は、家族の平和や繁栄を祝福する行為なわけです。
モールのフードコートで賑やかに食事をしながら、
彼らは、ある種の儀礼を行なっているわけです。
わたしは一年中、
毎朝グレープフルーツを食べることから1日を始めていますが、
それはもしかしたら、単なる好き嫌い、あるいはルーティーンを超えた、
儀礼的な行為なのかもしれません。