2017年11月12日日曜日

「架橋できる存在に」

内田樹さんによる、
吉本隆明に関わるある本についての書評です。
彼は、高校生の時に、
吉本の本に出合ったそうです。

http://blog.tatsuru.com/

「大学生になって(吉本を)読んだ場合には、
大衆は「原像」として概念的に把持される他ないほど
すでに遠い存在になっていただろう。
だが、高校生は生活者大衆でもないし、知識人でもない。
まだ何者でもない。
それでも、親に内緒で退学届けを出したり、
家を出て働くことくらいはできる。
この特権的なポジションを利用して、
大衆でも知識人でもない、
その二つを架橋できる存在になろうと私は思った」

そして彼はほんとに高校を退学し、働き始めます、
ただそれは、長くは続かなかったようですが。
「都会の不良少年」として、
高校時代を送ってしまったわたしとしては、
あまりに大きな差を感じます。

わたしの大学時代、
友人たちとの間でよく話題になった吉本の本と言えば、
これは圧倒的に、
『言語にとって美とはなにか』
でした。
もちろん、よくはわかっていなかったんですけどね。