2024年10月9日水曜日

『極悪女王』

ネトフリのミニ・シリーズ、
まだ公開したての

『極悪女王』

を見てみました。
5話中3話は、白石和彌監督です。

ビューティー・ペアの追っかけだった少女が、
給食費を奪って飲んでしまうろくでなしの父親と、
そんな男と別れられない(無駄に)深情けの母親と、
極貧の生活に痛めつけられ、
女子プロレスラーになる決心をします。
彼女こそ、後のヒール、ダンプ松本でした。

おもしろいし、わかりやすいし、
これはヒットするんじゃないでしょうか?
プロレス映画ですが、
フィーメイル・ボンディングの物語でもあり、
女性たちを搾取する男性たちを明確に名指しする物語でもあります。
女性たちの、世代間の差も描かれます。

思うのは、
すでに70年代、
「強くて美しい」ビューティー・ペアに熱狂していた女性たちがいたということ。
そしてそうしたメンタリティーが、
例えば21世紀の、
(スーパーマンの姉である)スーパーガールや、
キャプテン・マーヴェルや、
ワンダーウーマンなどにを支える土壌になっていたんだなあ、
ということです。
でも、だとすると、
実際にはもっと前の時代にも、
そうした状況はあったのでしょう。
増村保造の初期の映画だって、そう言えばそうだし。

黙阿弥の白波物が受けたのは、
幕府の力が不安定になり、
「上」に忠実であること、あるいは勧善懲悪などの価値観が揺らぎ、
社会のルールを無視する生き方、
自分を恃むワルの生き方が、
魅力的に見え始めたからだと言われます。
もし、大正デモクラシーの土壌が、
この辺から醸成され始めたんだと考えれば、
ちょっと似た構造かなと思いました。