2014年7月3日木曜日

『ゴジラ』


今日の「コンテンツ批評」の授業では、
満を持して(?)、
『ゴジラ』を取り上げました。
数あるシリーズの、第一作、
1954年11月に公開された作品です。

『ゴジラ』の発想の源には、
まず『キング・コング』(1933=世界恐慌の直後)があり、
『原子怪獣現る』(1953)があり、
そして1954年3月の、第五福竜丸の被ばく事件があります。

この名作には、
とてもたくさんのコメントを見つけることができますが、
わたしが見た中では、
やはり川本三郎の「ゴジラはなぜ『暗い』のか」と、
加藤典洋の『さようなら、ゴジラたち』とが、
説得力がありました。
ゴジラは、戦死した兵士たちの亡霊であり、
自分たちを忘れたかのようにして繁栄する東京に、
「俺たちを忘れるな」と帰ってきた、というのです。
1954年と言えば、まだ終戦から9年しか経っておらず、
戦争の記憶が生々しかった時代。
そのときに、あの巨体に化身した亡霊が帰ってくる……。
これは、こわかったでしょう。

そして銀座を、議事堂を破壊するゴジラは、
けれども皇居は、避けて通ります。
それは何を意味するのか。
これについても、
いくつかの興味深い解釈が示されていますが、
わたしが一番惹かれたのは、
兵士たちは、死してなお、
天皇(制)の呪縛から逃れられていない、
とするものです。

また、ゴジラはなぜ都市を破壊するのか、
という論考もあり、
そこでは、「都市化=近代化」に対する、
明治以来のアンビヴァレントな感情が渦巻いている、
という説明があり、
これも頷けると感じました。