この2作については、
以前触れたことがあります。
http://tomo-524.blogspot.jp/2011/02/la-petie-jerusalem.html
http://tomo-524.blogspot.jp/2012/09/dans-la-vie.html
で、
これも先日触れたキャリー・ターの論文に、
まさにこの2作を比較したものがありました。
ユダヤ人とアラブ人の関係を描いていて、
制作もともに2000年代だから、
というわけなのですが、
もう1つ大事な点、
それは2作の「ユダヤ人」が、
ともに地中海系のセファルディムだということです。
やはり2000年代には、
Mauvaise Foi も制作されました。
http://tomo-524.blogspot.jp/2013/10/mauvaise-foi.html
でもここに登場するユダヤ人女性は、
東ヨーロッパ系のアシュケナジムです。
ターは、ここでこのユダヤ人の2グループを、
はっきり別物としてとらえているのですが、
それには十分な理由があります。
というのも、セファルディムたちは、
ざっくり言えば、
マグレブの国々が独立した際に、
フランスに渡ってきました。
ただマグレブからは、
数の上でははるかに多いムスリムが、
フランスに移民していたわけです。
つまり、
セファルディム、フランス、アラブ系移民、は、
ポスト・コロニアルな時代と空間という文脈で、
語られるべきことだと言えるわけです。
無論アシュケナジムに、こうした要素がゼロだとは言えません。
けれども、彼らがフランスに移民してきた波は、
もっと長いスパンの中にあります。
だからこそターは、
この線引きをきっちりすることにしたのでしょう。
で、
話はやっと最初の2作に戻ります。
ターの結論から言えば、
『リトル』は悲観的で、かつてのマグレブでの幸福な共生の記憶が、
共有されていない。
それに対して、Dans la vie は、
(たとえ結婚はしなかったとしても)
幸福の記憶が共有されている。
つまり、
同じ「ユダヤ人-アラブ人」関係を描いていても、
これだけ違う、というわけです。
なるほどね。さすがターです。