2016年12月10日土曜日

『野良猫ロック セックスハンター』

Tout ce qui brille や Bande de filles など、
「女子(ないし女性)のグループ」(の連帯など)を描く映画は、
基本的に好きなんですが、
じゃあ日本には? と思って少し調べると、
出てきた映画がこれでした。

『野良猫ロック セックスハンター』 (1970)

https://www.youtube.com/watch?v=JDSwh51BI6c

制作は1970年と言いますから、
1968年の2年後です。
で、舞台は立川。
このころの立川は、
米軍は基地から引き揚げたものの、
まだその記憶も痕跡も生々しい、
実際施設などはまだ残っていて……
という時代でした。

物語は、主演の梶芽衣子率いる「女子グループ」と、
藤竜也率いるチンピラグループ・イーグルスとの対立を軸に、
破滅的な若者群像が描かれています。
(チンピラと言っても、多くのライフルを隠し持っていて、
「本格派」です。)

この映画には、はっきりしたイデオロギーの問題があります。
藤竜也は、かつて姉が米兵に暴行されるのを見たことがトラウマとなり、
性的不能者です。
そして彼は、「ハーフ」を憎んでいます。
(それは米兵でもなければ、アメリカ人でもないのです。
ふつうに解釈すれば、「アメリカ」は彼の上位者であり、
反抗の対象とはならない。
けれども/だから、
彼の憎しみは、「アメリカ」の落とし子である「ハーフ」に向かうのでしょう。
構図として言えば、上位の「アメリカ」に対して、
藤と「ハーフ」はいわば同じ階級にいるわけですが、
藤自身はそれに気づかないようです。
藤は、「日本」の隠喩なのでしょう。

ところでもう一人、安岡力也も重要な役で登場します。
彼は孤児院育ちの「ハーフ」という設定で、
幼いころ別れた妹を探しています。
(彼女は「女子グループ」のメンバーです。)
また、梶芽衣子が彼に惚れたため、
実は梶が好きな藤の怒りを買い、
また安岡は「ハーフ」でもあるため、
藤とは決定的に対立し、
最後、藤と安岡は壮絶な戦いを演じることになります。
ただしこの壮絶さが、本質的にむなしいものである点が、
この映画なのでしょう。
そもそも藤は、「ハーフ」を憎みながら、
おそらくは米軍払い下げのジープに乗り、
英語の本を読み、白人たちに日本の娘を「売り」ます。
ここには矛盾がありますが、
それがこの映画のテーマでもあるのでしょう。

もう一つ、
実はラスト近くで、
安岡は妹を射殺してしまいます。
これにはさすがに驚きましたが、
理屈で言えば、「ハーフ」による自己否認、ということになるでしょう。

米軍不在の街で、
その影とむなしく格闘するものたち。
必ずしも「女子グループ」的な映画ではありませんでしたが、
そして破綻している部分もあると思いましたが、
トータルでは、興味深い作品でした。

*対アメリカ、という点で、
『7月のランデヴー』を、少し、思い出しました。

http://tomo-524.blogspot.jp/2016/09/7.html