ウサマ・ビン・ラディンの「確保」に至る、
7年以上に及ぶ捜査と実行を描く、
『ゼロ・ダーク・サーティー』(2013)
を見てみました。
https://www.youtube.com/watch?v=wdMkSTp0rjI
動機は単純で、
キャストに、レダ・カテブの名前があったからです。
彼の役は、冒頭、
CIAからひどい拷問を受けるアラブ系の捕虜でした。
彼は、こんな役でも、いつも通り、
強さと繊細さをたたえていて、
さすがでした。
映画としては、
こうしたアメリカ映画らしく、
アメリカの論理一辺倒で、
ほぼプロパガンダ映画だと言えるのでしょう。
そしてラストの30分ほどは、
エンターテイメントとしては最上級の緊張感で、
こうしたエンタメ映画としての作りの巧みさと、
イデオロギー的な不均衡の組み合わせという、
見慣れたアメリカ映画の王道でした。
(たしかに、イラク戦争の失敗が繰り返し語られ、
それがCIA のトラウマになっているのはよくわかりましたし、
かなりむごたらしい拷問を、
CIAが組織的に行っている場面も多くあります。
さらには、作戦が成功した後、
主人公を襲うのは高揚感ではなく、
むしろ敗北感に近い虚しさのようでもあります。
ただそれでも……
それでも、描かれてしまったものは、
やはり「アメリカ」なのであり、
それ以外ではありません。
虚しさをエクスキューズにしたプロパガンダだとも、
あるいは、
虚しさをも含んだプロパガンダだとも、
言えると感じました。
(オバマの、ということではなく、アメリカの、ということです。)
そう思う決定的な理由は、
イスラムの人間で、
その内面まで含めてきちんと描かれた人物は、
一人もいないという事実です。
監督が見つめているのは、
「アメリカ」以外ではなく、
その視野は閉ざされているように思います。)