2024年6月29日土曜日

『インサイド・ヘッド』

院生の1人が好きだというので、

ふだんはほとんど見ない、アニメを見てみました。

『インサイド・ヘッド』(2015)

ピクサーの作品で、

感情を5種類に分け、それぞれを擬人化し、

ある少女の内面を描いています。

まあ……

わたしはアニメは苦手なので……


「イマジナリー・フレンド」が登場するんですが、

最近公開された『ブルー』の場合とは、

随分扱いが違うようです。

 

「おなまえ かいて」

ガザで戦争が始まってなもない頃、
こんなニュースがありました。


「現代詩手帖 5月号」の、

<特集・パレスチナ詩>から、詩を1つ引用します。

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おなまえ かいて    ゼイナ・アッザーム


あしに おなまえかいて、ママ

くろいゆせいの マーカーペンで

ぬれても にじまず

ねつでも とけない

インクでね


あしに おなまえかいて、ママ

ふといせんで はっきりね

ママおとくいの はなもじにして

そしたら ねるまえ

ママのじをみて おちつけるでしょ


あしに おなまえかいて、ママ

きょうだいたちの あしにもね

そしたらみんな いっしょでしょ

そしたらみんな あたしたち

ママのこだって わかってもらえる


あしに おなまえかいて、ママ

ママのあしにも

ママのとパパの おなまえかいて

そしたらみんな あたしたち

かぞくだって おもいだしてもらえる


あしに おなまえかいて、ママ

すうじはせったい かかないで

うまれたひや じゅうしょなんて いい

あたしはばんごうになりたくない

あたし かずじゃない おなまえあるの


あしに おなまえかいて、ママ

ばくだんが うちに おちてきて

たてものがくずれて からだじゅう ほねがくだけても

あたしたちのこと あしがひょうげんしてくれる

にげばなんて どこにもなかったって 

2024年6月20日木曜日

「認めない」

何人かの先生たちとだべっていた時、
ある英語の先生(50歳くらい?)が、

「父は僕の仕事を、仕事として認めないんですよ。
本読んで、何かしゃべって、なんて」

と言いました。
ちょっと驚いたんですが、
その時は授業開始時間になってしまったので、
翌週、ちなみに父上のご職業は?
と訊いてみました。
大企業のエライ人で、
大学教員なんて虚業だ、と言っているのかな、
と想像して、それを確認したかったわけです。

「いや、農家です」

手で、土をいじって、
作物を収穫し、それを売って金銭を得る、
それが仕事なんだと。

そうでししたか。

『ロルナの祈り』

順番が逆になりましたが、
先週のゼミでは、やはりダルデンヌ兄弟の、

『ロルナの祈り』(2008)

を見ました。
以前、言及しています。


もともと好きな映画を、
こうして久しぶりに見てみて、
やっぱり良かったと思えるのは、
なんというか、安心しますね。
(久しぶりに見て、
ぜんぜん面白くない! と感じることも結構ありますから。)






『午後8時の訪問者』

昨日の大学院ゼミでは、

『午後8時の訪問者』(2016)

を見ました。
わたしにとっては、7年ぶり、みたいです。
(アマプラにあります。)


で……

前回見た時より、ずっといいと感じました。
わたしが「90点!」と言ったら、
院生たちは驚いていました。
彼らは、そこまでいいとは感じなかったようです。

出だしの、診療の場面。
患者の体内の音が、聴診器を通じて聞こえてくるかのよう。
その後も、音楽は一切流れず、
その分観客は、微細な音に耳を澄ますことになります。

主演のアデル・エネルは、とてもよかった。
生硬な感じと、柔らかな感じが同居して、存在感もありました。
シャワーから出てきて野菜を炒めてるシーンなんかも、
わたしは惹かれました。
(おそらくこういうところは、感想が分かれるでしょうけど。)

ダルデンヌ兄弟は、やっぱり好きです。

2024年6月14日金曜日

『流麻溝十五号』

7月26日公開の、

『流麻溝十五号』

の試写を見る機会がありました。


HP はこれ;


1953年の台湾。
蒋介石に率いられた台湾政府は、
自分たちにとって不都合な人たちを、
政治犯として収容所に送り、
そこで「再教育」を図っていました。
映画は、その過酷な実態を、実話をもとに描いています。
台湾の「黒歴史」を、台湾の監督が告発しているわけです。
それも、21世紀になってやっと可能になったわけなんでしょう。

でもやっぱり、聞くのと、こうして見せられるのとでは、
まったく感触が違いました。
特に、言葉。
よく分からない点もあるんですが、
台湾語、北京語、広東語、そして日本語、などが使われています。
(日本語話者は、日本の植民地だった時代から、
台湾にいた人たちです。)
また国民党の兵士たちも、
もとはといえば中国の中国のさまざまな地域の出身なので、
それぞれの出身地の言葉を使っているようです。
(これは中国からの留学生に聞いたのですが、
「標準語」を使っているのは、
出身地云々ではなく、高い教育を受けた人たち、
ということだそうです。)
字幕付けは、ものすごく大変な作業だったに違いありません。

台湾に興味がある方はもちろん、
現代史に興味がある方も、必見だと思います。

2024年6月7日金曜日

「鋳掛松」

先週から今週にかけての通勤では、神田伯山の

「畦倉重四郎」(全19話)

を聞きました。
凄惨な場面もあるのですが、
とてもおもしろかったです。
(第19話だけは、2ヴァージョンあり。)


これが無料っていうのは、
なんだか、申し訳ないです。

で、その流れで、これを聞きました;

「鋳掛松」



鋳掛屋の松五郎、の話です。
鋳掛屋というのは、鍋などを修繕する仕事。
人に感謝されるが、低収入です。
時代は江戸の天保年間です。

前半はコメディタッチだったんですが、
後半、鋳掛屋になった松五郎が、両国橋に来たときのこと。
隅田川には、芸者たちを乗せ、
高級な酒と料理に舌鼓を打つ、船遊びの客たちがいます。
一方橋の上では、炎天下の中、
赤ちゃんを背負い、幼い子の手を引いて、
枝豆を売っている女性がいます。
しかもこの幼い子は裸足なのですが、
それは草履を買うお金がないからなのです。

鋳掛屋松五郎は、自分も貧乏ですが、
草履のお金を母親に与えます。
で、そのままいい話で終わるのかと思いきや、
彼は突然、なぜ世の中には金持ちと貧者がいるのか、
という疑問と直面するのです。
ちょっとびっくりしました。

で、簡単に調べてみると、
この講談の作者は、
日本で最初に『共産党宣言』を翻訳した1人で、
社会主義者の堺利彦だと知り、二度びっくり。
「改造」に発表されたもので、
全体を通せば2時間はかかるらしいです。
(白山の講談は約30分。)

いろんな出会いがありますねえ。

2024年6月1日土曜日

『ケープタウン』

南アフリカとフランスが共同制作した映画、

『ケープタウン』(2013)


を見てみました。
ずっと「リスト」に入れてたんですが、
原題が Zulu(ズールー族)であることに気づき、
これは、と思ったわけです。
オーランド・ブルームも出ています。
(12禁です。)

緊迫感のある映画で、
薄っぺらいヒューマニズムじゃない点も好感が持てました。
二人組の刑事、
上司アリは、ズールー族の男性で、
白人の部下ブライアンは、アパルトヘイト時代に裁判官を務めていた父を持っています。
ただ彼は、この父親の所を嫌悪し、そのまま決裂しています。

アリは、アパルトヘイト時代、苦しめられた側ですが、
復讐よりも「許す」ことを優先しています。
ブライアンは、そうしたことより、個人生活が大変。
飲んだくれで、妻に逃げられ、息子には拒否され、お金はありません。

ただこの映画の厳しさは、
善良で寛大だと思っていたアリが、変わってゆくこと。
そしてその怒りの対象は、アパルトヘイトの過去と結びついています。
過去の亡霊が蘇るのです。

少し、理解しづらいところもあったんですが、
トータルとしてはおもしろかったです。
この映画、授業で使いたいですが、
わたしが、きっちり説明できる自信がありません。
南アの映画は、とにかく言語が入り乱れていて、そこが特に難しいです。




『狼たちの午後』

大学院ゼミでは、久しぶりに

『狼たちの午後』(1975)

を見て、院生が、それについて書かれた論文を読解する、
ということをしました。
『目に見えるものの署名』という本に収められている、
現代の大衆文化にみられる階級とアレゴリー──政治映画としての『狼たちの午後』」
です。
有名なマルクス主義批評で、
鋭い部分は確かに鋭いんですが、
書かれたのが1970年代で、
それは新自由主義が登場する前の時代なので、
たとえば、コングロマリットについてのイメージ(というか位置付け)も、
今とは違っています。
でも、いい試みでした。

その発表した院生が、
ラストシーンについて言ったコメントが、
私が昔見て感じたことと同じだったので、
なぜか嬉しい気がしました!

この映画については、
こんなことを書いたこともありました。