今日は寒くなるという天気予報だったので、思わず厚着をして行きました。で、ちょうどよかったです。
「フランス映画ゼミ」では、今日は映画をお休みして、みんなで感想を言い合う日にしました。まあ、こちらの意図に合わせてという部分もあるでしょうが、「自分と違う感想を聞けて、見方が広がった」と言ってくれる学生も多く、やはり見っぱなしよりはベター、かな?
中に、「世界」という言葉を、かなり本気で発する学生がいて…… もちろん、個人が「世界」を理解するなんてことはできない、というか、何ができれば「世界」を理解したことになるのかさえ分かりませんが、それでも、一所懸命に「世界」という言葉を絞り出す姿には、ちょっと打たれるものがあります。
吉本さん風に言えば、それは「世界意識」というものの萌芽なのかもしれません。人類史的に見れば、植民地主義という悪夢を通して世界の版図が認識されていく過程で、こうした意識は醸成されていったのでしょう。そして個人のレベルで言えば、今彼は、そうした意識に開かれようとしているのでしょう。
だからゼミでは、たとえば映画「憎しみ」を、歴史意識を通して見ること、つまり、圧縮された時間が流れ込む<現在>としての作品に向き合うこと、などの話になりました。(おお、こうして書くと、なんだか真面目にゼミやってるみたいでしょ!?)それはまあ、当たり前のことだけど、やはり18, 19 歳の時に、ちょっと考えてもいいことだと思います。
少しでもお役に立てたらいいんですけどねえ。