2022年11月17日木曜日

『ジャック・メスリーヌ』

大学院ゼミでは、
わたしにとっては十数年ぶりで、

『ジャック・メスリーヌ 社会の敵N.1』

を見てみました。
第1部と第2部、
合わせて4時間、
2週に分けて見ました。

以前、第1部について、
こんな風に書いていました。
(もちろん、自分でも内容は忘れていました。)


そして第2部もまた、
おもしろいのでした。

いや、おもしろいんですが、
なぜそう感じるのか?
まず、画面に緊張感がある。
長い映画なわけですが、
その時間の流れの背後に、
フランス社会の戦争~70年代がはっきり横たわっている、
最小限のセリフしかない、
説明ではなく、行動を通して物語は提示される……
という感じでしょうか。

特に「戦後」に関して言えば、
まず、ジャックの父親は、
戦争中、ヴィシー政権に加担していた。
(ジャックはそれを恥じ、
小市民である父親自身は、仕方なかったと弁明する。)
ジャックは、アルジェリア戦争で当地に送られ、
そこで上官から、捕らえたアラブ人女性を殺すように強要される、
そしてジャックは、彼女ではなく、
容疑者であるその夫を射殺する。
(これが、ジャックの中の何かを壊したのは明らか。)
また、映画のラスト近くに登場する極右の記者は、
ちょうどその時期、
つまり1961年頃、
パリでのパポンが指示したアラブ人虐殺を賛美する。
Vive la Québec libre !   が登場する……
というわけです。

そして、極左のテロリスト、シャルリの存在も見逃せません。
一時、ジャックとシャルリは行動を共にします。
ジャックに「思想」はありませんが、
彼なりの「論理」や「信条」はあるのです。
つまり、襲うのは銀行や金持ちだけ。
これは、大衆から搾取を続ける奴らよりマシ。
また、仲間は決して裏切らない。
この2つです。
もちろん実際には、
まともな市民生活を送れない性分であり、
時には女性たちにも手を上げ、
必要のないところで殺人を犯したりするわけなので、
愛すべき人物などとはとても言えませんが、
ある種の「魅力」(虚構の人物としてなら)があるのは事実でしょう。

ギャング映画として、
かなりいいデキだとわたしは思います。
まあ、ヴァンサン・カッセルの存在に負うところは、
間違いなく大きいですけど。