昨日、テレビのクイズ番組の問題で、「今年で生誕100年を迎える、さよなら、さよなら、で知られる映画評論家は?」という問題がありました。
もちろん、淀川長治のことなんですが、ああ、彼は生きていれば今年で100歳なのか、と、ちょっと不思議な気がしました。
都心に行くと、いわゆる有名人を見かけることは珍しくないですが、淀川さんは特に、3回以上見かけた気がします。まあ、いつも四ツ谷駅でしたから、そんなに偶然じゃあないのかもしれませんが。
映画を見るとき、あるいは小説を読む時などもそうですが、登場人物のうち、比較的自分に近い人に感情移入する、という傾向があるようです。そしてその延長として、たとえば「わたし」が若い男だとしたら、若くてきれいな女優さんに注目してしまう、ということも、起こるかもしれません。けれど、淀川さんはちがった、という文章を読んだことがあります。
彼は、たとえば女優さんの美しさにも、男優の美しさにも、なんならそれ以外の美しさ(だけではないでしょうが)にも、同じように敏感に反応した、というのです。だから彼の批評は、いわば「女だけ見てる男」の作品理解に比べると、はるかに自由、はるかに闊達だった……
根底には、もちろん、映画への愛があるのでしょうね。