2010年5月8日土曜日

Requiescat in Pace 須山岳彦(1963-2010)・1


このブログでも、すでに何度も登場している白水社のタケちゃん、
思い起こせば、タケちゃんと初めて会ったのは、12年前の4月のことです。

友達というのは、たとえば小学校以来の友達とか、中学、高校、
あるいは大学での友達、就職してからできた友達とか、
さまざまな友達がありえるのでしょうけれど、わたしにとってタケちゃんは、
大人になってからできた、大事な友達です。

たとえば30歳前後の人と話していて、彼(女)が、
ぼくには友達がいないんです、
などと言いだす場合には、もちろん友達なんてなくたっていいけれど、
でも、まだまだこれから先、いい友達ができる可能性はゼッタイあるよ、
と言うことにしています。
そんなとき、わたしははっきりと、タケちゃんのことを考えていました。

初めてタケちゃんに会った時、わたしははもう30代の終わりでした。
忘れもしない、それはH大学のフランス語教員が年に1度集まる「教科書会議」でした。
わたしは、フランス語の教科書についての、小さな企画を持っていました。
で、もしもできるなら、どこかの出版社に出してもらいたいと思っていて、
その会議で出会ったタケちゃんに、話を持っていったのでした。

一通り話を聞いてくれたタケちゃんは、
ああ、やりましょうよ、
とあっさり言ってくれ、わたしは驚きもしましたが、
もちろんとても嬉しかったのを覚えています。
その企画は、「おいしいフランス語」という教科書として実現しましたが、
それを作る過程で、あっちこっちで飲んだり食べたり飲んだりしました。
装幀を担当してくれる女性デザイナーとも吉祥寺で会い、
中華料理を食べながら、数種類のラフについて語ったりもしました。
フォントを選んだり、各課のタイトル周りのデザインについて相談したり……。

思えば、こうしたタケちゃんとの仕事の中で、
わたしは本を作る喜びを教えられたと思っています。
また、タケちゃんが愛してやまなかった白水社、
わたしにとっては足を向けて寝ることのできないこの会社の人たちも、
ひとり、またひとりと紹介してくれました。
そして彼らの仕事を知るにつけ、本というのもが、
まあ当たり前と言えば本当に当たり前ですが、
たくさんの人の共同作業なしには生まれえないということを、
つくづく思い知りました。

その白水社から、わたしは「フラ語シリーズ」を出してもらっていますが、
そのすべての担当はタケちゃんです。
というか、そもそもこのシリーズの第1作、
『フラ語動詞、こんなにわかっていいかしら?』は、
たまたま書いたのがわたしだっただけで、
企画もコンセプトもタケちゃんのものでした。

『フラ語動詞』の最大の特徴は、辞書とは違って、
動詞の活用形をインデックスしたこと、そしてそうしたすべての活用形に、
ルビを振ったことなんですが、
この2点は、タケちゃんが立てた企画にすでにはっきり書かれていました。
わたしはその企画書を見せられ、書いてみる気はないか、と訊かれたのでした。

おもしろいし、これはたしかに入門者の役に立つ、と思って、
わたしはやらせてくれるようにお願いしました。
ただ、上に挙げた2つの特徴は、
実はタケちゃん本人が思いついたものではありませんでした。
当時付き合っていた彼女がフランス語の勉強を始め、
そういう参考書があったらいいのに、
という希望を漏らしたものをタケちゃんは聞き逃さず、
すぐに企画として組み上げたものだったのです。
彼はそういう人でした。
誰からでもよく聞き、聞き逃さず、火のないところに煙を立て、
思いもよらいない火花を引き起こしました。

やがて本ができた時、その彼女はもうモトカノになっていました。
が、もちろんタケちゃんはそれを彼女のもとに届けたそうです。
彼女と飲んだんですよ、喜んでくれましたよ、と、タケちゃんは言っていました。
その話を聞いた時、わたしはタケちゃんに一歩近づいた気がしました。(つづく)