2011年2月8日火曜日
過剰なもの
昨日に引き続き、今日も大学で業務がありましたが、
これが順調に運んで午前中に終了。
弁当ランチ後解散となりました。
業務の間の休憩時間、建築が専門の先生と話していて、
どういう流れだったか、
彼がこんなことを言い出しました。
「今は建築も、メディアを通して、
つまり画像などを通してで体験することが主流なんですけど、
これだと、匂いとか、光とか、足音とか、
そういうものは分からないんですよね。
たとえば足音にしても、石をどれだけ薄く削れるか、
なんていう技術上の問題によって決まってくるんです。
セプテンバー・11のあとしばらく、
風向きによっては、マンハッタン全体が、
何とも言えない臭気に包まれるっていう時期があったそうなんです。
NYの友人が、何度もそれを言うんです。
僕はその直前までNYにいたんですけど、その時はもう日本にいた。
だから、メディアを通してしか知らない僕とでは、
体験の質が違うわけです。
建築も、二次元の写真なんかでみるだけじゃだめなんです。
学生の作品でも、写真にするとミョーに見栄えのいいものがあるんですが、
それは「プリマ・ドンナ的」って言って、かわかられちゃうんです。
フォトジェニックっていってもいいんだけど、
それじゃあんまりなので」
なるほどねえ。
これはつまり、建築の身体性ってこと?
「そうもいえると思うんですけど、ただね、
そうしたものって、往々にして過剰なものなんですよね。
クライアントは、必ずしも喜ばない。
で、それをいかに説得するかっていうのがね」
身体が過剰?
そうなっちゃうような状況が、
実際今起きているわけですね。
もちろん本来は過剰なんかじゃなかったのに、
それが過剰だと感じられるような状況……
休み時間は、楽しいです!