2013年5月20日月曜日

ドランシー収容所

『アイシャ』の舞台となったボビニー。
ボビニー・パブロ・ピカソ駅から、ためしに北に歩いてゆくと、
10分ほどでボビニーを離れ、
となりのドランシーに入ります。
そしてさらに10分ほど歩くと、
あのドランシー収容所があった場所に到着します。

ドランシー収容所、ご存じでしょうか。
大戦中、フランスでナチによって「逮捕」されたユダヤ人の多くは、
まずこの収容所に送られました。
そしてそうした10万ほどの人のうち、
7万人ほどがアウシュビッツに送られました。
そしてこの移送には、フランス側の明確な協力がありました。
つまりこのドランシー収容所は、
フランスのユダヤ人に対する罪の、
象徴的場所ともいえるわけです。

http://www.youtube.com/watch?v=Yoy1lT294Ns

またgoogle map  https://maps.google.co.jp/  で、


と入れると、そこがそうです。

この建物は、もちろんもとは団地(ensemble)。
1930年代のもののようです。
また建物近くには、線路と貨車が見えますが、
これはダミー。
実際は、この収容所から、近くの駅までバスで連れていかれました、
もちろん、フランス側の協力のもと、です。
で、
近くの駅は2つあり、
その1つはブルジェ=ドランシー駅、
そしてもう1つが、(旧)ボビニー駅なのです。




Ancien bâtiment voyageurs de la gare de Bobigny, en juillet 2012.












1943から1944にかけて、2万人以上のユダヤ人が、
この駅からポーランドを目指しました。

こうした記憶を排除することで、
パリは「パリ」として成立するのですね。