2018年2月18日日曜日

『都市の類型学』(備忘録3)

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
で知られるマックス・ヴェーバーの、
唯一の都市論がこれ、
『都市の類型学』(1921)
です。
ジンメルの「大都市と精神生活」は1903年なので、
それよりはやや後で、
時代的には、シカゴ学派が注目される直前、
というところでしょう。
ただ、このヴェーバーの本は、
都市論の世界では、
たとえばジンメルほどは注目されていないようですが。

では、大雑把ですが備忘録。

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『都市の類型学』

主な分析対象:古代&中世の、ヨーロッパの都市

最重要ポイント:
中世の都市ゲマインデが、
近代資本制と近代国家の基礎となったという指摘。

「ゲマインデ」とは、一般に「共同体」のことだが、
ヴェーバーが言う真の「都市ゲマインデ」は、
以下の条件を満たすとされる。
・経済的な意味での「都市」
・(城壁などの)防御施設を持つ
・市場を持つ
・裁判所と法を持つ
・団体の性格を持つ
・自律性、つまり市民が参加する行政がある

→全部満たす都市は少数だった。
たとえば日本では、城壁がなかったわけで、
そもそも「都市」があったかどうか疑わしい。
大量現象としては、中世に、アルプス以北のヨーロッパにのみ見られた。
(めちゃめちゃ狭い!)

そして「都市ゲマインデ」は、古代にも中世にもあった。が、
近代資本制と近代国家が成長したのは、
中世の場合のみだった。どうして古代はだめだったのか?

その理由は;
古代の都市ゲマインデ:奴隷や外国人が経済活動。
           それをしない政治人による共同体。
           →身分的対立があった。
中世の都市ゲマインデ:経済人による、利益を守るための共同体。
           →(貧富の差はあっても)身分は同じ。

cf.「都市の空気は自由にする」~
中世ヨーロッパは、<領主ー農民>的な身分制度に覆われていたが、
都市ゲマインデは、そうした支配に対する、
自治と自由の空間として成立した。

        ★

中世の都市ゲマインデを母胎として、
近代資本制と近代国家は生まれた。
しかし、
いったん近代資本制と近代国家が成立すると、
都市ゲマインデは消失した。
それはなぜか?

その理由は;
中世の都市ゲマインデが、
その領域内に形成した「市民社会」というものは、
やがて近代国家に吸収され、
市民が担っていた経済活動も、
都市を越える「国民経済」として展開するようになったから。

        

都市 = 大聚落 ≠ 隣人団体(=住民は互いに見知っている)

時代も空間も越えて、
すべての都市に共通しているのは、
それが大聚落だということ。(←とても単純。でもその通り。)
そしてそれは隣人団体ではないので、
当然、住民相互の相識関係はない。(その通り。)

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最後の部分。
現代でもなお、都市の人間関係の希薄さが言われたりしますが、
ヴェーバーにならえば、
それこそが都市だということにもなるわけですね