(わたしにとっては)ちょっと意外な組み合わせの映画、
Du goudron et des plumes (2014)
を見てみました。
全体としては軽いコメディーです。
https://www.youtube.com/watch?v=9OR2J3r2VAQ
南仏のモントーバン。
地元に生まれ育ったクリスチャンは、「見てわかる」アラブ系。
彼は妻(=今も近所に住んでいる)と離婚し、
12歳の娘ヴァネッサが生きがいで、
時にはちょっとしたオタノシミもする生活。
彼の仕事は白アリ退治なのですが、その流儀は完全に詐欺。
自分が持ち込んだ白アリを見せて、契約を迫るのです。
また、彼の父親は閉鎖された工場の元工員で、デモにも参加。
母親はすでに亡くなり、アルジェリアに埋葬されています。(つまり、このモントーバンは、
母親の「故郷」にはならなかったということでしょう。)
兄(=ジネディーヌ・スアレム)も妻に捨てられ、
今はほとんど抑うつ状態。
クリスチャンの娘のヴァネッサは今、
「夏の3種競技会」の開会式での、
バトントワリングによる行進の練習に余念がありません。
で、そのヴァネッサと仲良しアレジアは、
シングル・マザーのクリスティーヌと暮らしています。
クリスティーヌは、現在妊娠中なんですが、
相手の男とはもう別れています。でも生む気満々です。
そして、クリスチャンとクリスティーヌが、
子供たちを通して出会うのです。
物語は、この大人の、地味な恋愛と、
クリスチャンが参加することになる「3種競技会」が、
中心になります。
前回見た La fille du patron では、
男性主人公が「アラブ系」であることは、
一度も触れられませんでした。
そして今回も、たった2度だけ、
その点が明らかになります。
1度目は、母親がアルジェリアに埋葬されていることが、
クリスチャンと父親との会話で話題になるとき。
2度目は、クリスチャンが詐欺容疑で連行された後、
クリスティーヌがクルマで迎えに来る場面。
彼は彼女に、
と、卑下と感謝が入り混じった微妙な言葉をかけるのです。
もちろん、クリスチャンがアラブ系なのは見てわかるので、
この2度はダメ押しとも言えるのですが。
(こうした点を指摘しすぎるのは、
ラベリングのようでよろしくない、
という考え方があるのは知っています。
とはいえ、この映画が(暗黙の裡に)提示している、
フランスの新しいナショナル・アイデンティティーを検討するには、
避けて通れない点だと思っています。)
そして『社長の娘』とこの映画に共通しているもう1つのことは、
舞台がパリではないこと。
共生が、地方都市でも進んでいるということなのでしょう。
特に今回の作品では、
クリスチャンが地元の代表として大会に出ます。
この意味は、小さくないでしょう。
特に、彼の母親の埋葬先を考えると。
なんということのない映画なんですが、
やっぱり、主役の2人が魅力的です。
イザベル・カレは、いつもながら地味なんですが、
なぜか好感が持てるのでした。
*タイトルについて
タイトルの du goudron et des plumes というのは、
比喩的には、「衆人環視の中で恥ずかしい思いをすること」
くらいの意味なんですが、直訳は「タールと羽根」。
実は、中世から現代まで行われている「見せしめ的懲罰」で、
昔は、罪人の体にタールを塗り、そこに羽根をつけ、
町中を引きずり回し、
その人間が罪人であることを周知させる、
というものがあったようなんですが、
これが du goudron et des plumes なんです。
けっこう酷いですが、
これは植民地でも、アメリカでも、行われていたようです。
まあ、この映画には、
そんな暗さはまったくないんですけどね。