2018年5月3日木曜日

La fille du patron

しばらく前に買っておいて、
やっと手に取ったDVDが、
そもそもなぜ買ったのか分からないことがあります。
好きな監督、あるいは俳優が出ているわけでもなく、
テーマが魅力的だ、というわけでもなく。
でも、自分で選んで買ったんだから、
その時は何か理由があったわけで、
とにかく見始めはします。
で、見終わって、
やっぱり分からない! ということも稀にありますが、
たいていは何か思い当たります。

映画を2本見ました。

A perdre la raison(2012)『理性を失うほどに』

La fille du patron(2016)『社長の娘』

です。
前者は、タハール・ラヒムが出ていて、
メディアの評価も高い作品ですが、
わたしはあまりピンときませんでした。
追い込まれた母親が、
自分の幼い子供4人を殺してしまう(!)お話です。
(しかも、「現在」を冒頭に置いて、
映画全体がその「現在」に向かってゆくというベタな構成。
しかも(×2)、その「現在」において4つの小さな棺が映るので、
観客は物語の果てに待っているものを常に意識させられるという、
なかなかの苦行になります。)
ヒロインのエミリー・ドゥケンヌは、
この映画の主演でした。

http://tomo-524.blogspot.jp/2013/11/la-fille-du-rer.html


で、後者、なんともマンマなタイトルですが、
これは(難点もあると思うものの)ちょっとおもしろかったです。

https://www.youtube.com/watch?v=3oKHwVyRzfU

舞台は、フランスの、あるさびれた町の工場とその周辺。
アラブ系のヴィタルは40歳で、
奥さんと小学生の娘がいます。
テキスタイルの工場で働いていますが、
同僚の中ではリーダー格で、
社内のラグビー・チームでは監督もしています。
このチーム、企業対抗戦で勝ち進んでいます。
このヴィタルが抱える最大の問題は、妻との関係。
愛は残っているものの、それは冷えています。

ある日この工場に、
労働環境改善のための調査をする担当者がやってきます。
アリックスは27歳。
この問題についての博士論文を書き上げたばかりで、
2週間後には、カナダの企業に着任する予定です。
で、このアリックスが、
実は「社長の娘」なのです。

この事実は隠されていましたが、
ボレッティという姓が珍しいため、
わりとあっさりばれてしまいます。
そんな中ヴィタルは、彼女の調査対象となり、
2人は急接近。
ヴィタルは、家を出ます……

監督・主演をこなしたオリヴィエ・ルストが、
ちょっと長めの文章を書いていました。


これによると、
彼は「工場労働者の息子」であり、
この映画の空間は、
彼自身が育ってきたもののようです。
そして、労働者の世界、
連帯、分かち合い、助け合い、でできているこの世界を、
社会的状況を否応なく映し出してしまうこの世界を、
描きたかったと。
また同時に、
ブルジョワと労働者という、
さまざまな「差異」を抱えた2つの階層の関係、
その「愛」の可能性についても描きたかったと言っています。
そして、

Elle (=l’équipe du rugby ) représente une France que j’aime
avec des grands, des gros, des petits, des bruns, des blonds, des chauves,
des Noirs, des Maghrébins…

ラグビー・チームは、僕の好きなフランスを表している。
そこには、大男、太っちょ、チビ、褐色の、ブロンドの髪の男、ハゲの男、
黒人、マグレブ出身者がいる。

「人民」である労働者を核とした une France「ひとつのフランス」。
そしてそこには、アフリカ系もアラブ系も含まれている、
そういう「フランス」が、彼は好きだと言っています。

ルスト監督は、明らかにアラブ系に見えます。が、
階層的「差異」を問題にするとき、
彼はこうした民族問題には触れません。
ただ、「フランス」のアイデンティティーを語るときには、
やはり「マグレブ系」という言葉を書かずにはいられないのでしょう。
(まあ、「アジア系」は入っていないんですが。)
この文章の中で、
彼はジャン・ルノワールの『獣人』にも触れていますが、
そこにも、たしかに「人民」がいました。
『社長の娘』は、
こうした意味での「フランス映画」の伝統の系譜に、
位置付けることができるのでしょう。
そう考えると、
インテリの白人であるアリックスと、
アラブ系労働者であるヴィタルの恋は、
「マリアンヌ」と「人民」の関係そのもののようです。
これは、実は新しいナショナル・アイデンティティーの「形」だと思います。

ただ一方で、難点もありそうです。

まず単純に、
アリックスがヴィタルに魅かれる過程に説得力がない。
ヴィタルが、きれいなアリックスに魅かれるのはわかります。
でも、博士課程にいたアリックスが、
唐突にヴィタルと恋に落ちるのが、理解しづらいです。

また、そのこととも繋がりますが、
ヴィタルがややマッチョすぎる。
そして、やや自己陶酔過ぎる、
精神主義的すぎるのも、気になります。

さらに言えば、アリックスの友人たち、
学位を持つ若者たちの描き方が、浅い。
博士課程の学生たちも、
それなりに苦労はあり、
あんな、グローバル金融の手先みたいな子たちばかりじゃありません。
そのことを、監督も、
したがってヴィタルも理解しない。
ここは明らかな弱点でしょう。

労働者の妻たち。
彼女らの描き方も、ややステレオタイプ。
家事をし、縫物をし、井戸端会議をし、ラグビーの応援をする。
それだけ。
ちょっとちがうような。

というわけで、
気になる点はいくつもあるのですが、
それでも、結果として、
おもしろい位置にある映画だと思いました。

*お馴染みのムサ・マースクリが、
ヴィタルの同僚として出演していました。
アラビア語も話していました。