Gaspard va au mariage
です。
https://www.youtube.com/watch?v=RkugptM6X8k
<25歳の青年ギャスパールは、長年、
家族との関わりを慎重に避けていた。
父親が再婚することになり、
家族の元へ向かうことになった彼は、
ローラという風変わりな女性に、
恋人のふりをして結婚式に出てほしいと頼み込む。
ローラに伴われ、ギャスパールはようやく
猿や鹿やライオンたちに対面する心の準備を整える。
そう、彼の実家は動物園を経営しているのだった。>
というわけです。
この映画、冒頭の、
ギャスパールとローラが出会うシークエンスは、
意外性もスピード感もあり、
期待が膨らむのですが、
いったん動物園に着いてしまうと、
カメラはその(広いんですが)閉ざされた空間から出ず、
舞台のような閉塞感が生まれます。
ただ、ここで気持ちを切り替えれば、
それなりにおもしろく見られると思いました。
実はこの映画、
上で引用した紹介文からは、
まったく予想できない物語が続いてゆきます。
それは、ギャスパールの家族たちが、
それぞれにやや風変わりだからです。
それは、
老年を意識し始めた女たらしの父親、
独立心のあるそのフィアンセ(マリナ・フォイス)、
まじめな長兄(ギヨーム・グイ)、
自分を熊だと思っている美しい妹コリーヌ(クリスタ・テレ)、
たちです。
注目すべきは、コリーヌなのでしょう。
彼女はいわゆるブラ・コンで、
子ども時代天才的発明家だった兄ギャスパールを、
今も慕い続けています。
その「愛」は、
「世界」と直面することの怖れと表裏の関係にあり、
だからこそ彼女は動物園の仕事に没頭し、
子供時代に一緒に遊んだ熊の、
まるで生きているような毛皮をいつでも羽織っているのです。
動物園という空間から、
子供時代という時間から、
その時代の人間関係から、
彼女は出ようとしません。
ギャスパールの恋人として現れ、
こうした「夢想」を不可能にしてしまうローラは、
当然コリーヌの「敵」にちがいありません。
採算の取れない動物園を売ることが決まった後、
コリーヌは、
兄の結婚式で出会った見知らぬ男を誘います。
そして「600キロ」の、
動物たちの餌の入った貨車の上でヴァージンを捨てます。
それはむろん、
彼女が「世界」に対面する覚悟を表しているわけですが、
やはり気になるのは、
下敷きになった「600キロ」の餌です。
これは単純には、
捨てるべき「空間」と「時間」の象徴なんでしょうけれど、
なにか、それ以上のものを感じます。
それは、「生」の感覚、とでも言うべきものです。
そもそも動物園では、
動物たちの生き死にが日常なのです。
昨日見た Diane a les épaules では、
生殖が1つのテーマになっていました。
今日見たこの Gaspard va au mariage にも、
表面には見えないものの、
それに繋がる感覚があるように感じたわけです。
一般に「フランス映画」というのは、
しゃれた会話や、
恋の駆け引きや、
伝統的な心理小説を思わせるデリケートな心理描写、
みたいなものが得意だとされていますが、
正直言って、
そういう「フランス映画」は、
わたしはあまり興味がありません。
そしてそうして映画群は、
Diane a les épaules や Gaspard va au mariage
と比べると、
なんて能天気なのでしょう、
という気がします。
ウェルベックの小説は、
生の衰退とヨーロッパの衰退が
パラレルに語られているように見えます。
恋の駆け引きで映画を作れるのは、
きっと満ち足りた人たちなんでしょうね。
それから、ローラを演じた Lætitia Dosch
彼女はこの映画の主演でした。
「ちょっと変わった女性」は、
彼女のはまり役ですね。
また、父親の恋人を演じたマリナ・フォイスですが、
ちょっと今回は、
彼女を生かし切れていないと感じました。
さらに、この父親を、
もしもビロル・ユーネルが演じていたら!
と、勝手なことを思ったりもしました。