今日は1月9日。例の『東京詩』、な~んとなく終りが見えた気がします。
いや、まだまだ書き終わったわけはありません。推敲だってまだまだだし、なんならあと一人や二人増やしたい気がするし、あとがきもあるし。
でも今日、宇多田の「東京NIGHTS」のところを書きました。これもまだ終わってませんけど、書くべきことを思いついた感じがします。もちろん、わたしなりに、という範囲でのことですけど。
こういう時、な~んとなく感じるんです、ああ、これは終わるな、って。まだまだ時間はかかりそうですが、今月末の締め切りには間に合うでしょう。やれやれ! あとは…… 波戸岡先生にプレッシャーをかけて遊ぶだけです!(もちろん、面白いものを書いてくださるはずです!)
◇
今日の昼御飯の時、『日本語が亡びるとき』(水村美苗)という本が話題になりました。たしか、年末の朝日新聞の「今年の3冊」でも、この本を挙げている評者がいたと思います。でもおそらく……
この本に書いてあることが、そうだ、まったくその通り! ということではないのでしょう。ただ、色々考えるタネになる本ではあると思います。要は、こんなネット時代になっちゃって、もうこれからは英語の時代、後戻りはできないぜ! ということのようです。
まあでも、振り返ってみるに、なぜ日本の中学では「英語」が必修科目なんでしょう、「中国語」や「フランス語」ではなく?
もちろん日本は戦争に負けました。あの時、日本は消滅して、合衆国内の Japan state になる可能性もあったわけです。みんなで英語を話して。実際には、「象徴」を含めて残したほうが御しやすい、という判断が働いたのでしょう、日本語はそのまま残ることになりました。そしてやがて、「英語」が必修科目に加わるわけです。
でもそれより大事なのは、むしろその後の、合衆国の経済的「覇権」だったのでしょう。それがなければ…… 国策として「英語」教育を推進しはしなかったでしょうから。
Well, I...
なんだか飛躍しますが、グローバリゼーションてなんでしょう。「グローバルに活躍するエグゼクティヴ・サラリーマン」のイメージ? あるいは、よく言われるように、アメリカニゼーションの異名? まあ、そんなところでしょう。でも……
宮内勝典さんの特別講義のことろでも触れましたが、問題は想像力なんでしょう。つまり、夜空に飛び交うロケット弾が落ちるところに、誰かが住んでいるんだと思うこと。この食べ物、この洋服の背後に、どれだけの人がかかわっているかを、地球(グローブ)規模で想像すること。
そう考えると、グローバルな感覚を身につけるっていうのは、けっして金融相場やスワップ取引に精通することではなく、いってしまえば、世界の貧しさを思うことなんでしょう。たとえ今自分が、それに対して無力だとしても。
(今ニュースでは、「派遣切り」(いやな言葉です)が話題になります。職を失うのがどういうことか、それを想像してみると…… 思います、どうして人間より会社が優先されるのか。どうして、まじめな労働者がそんな目にあわなければならないのか。)
なんだか、(いつものように)話がそれました。でもとりあえず、『日本語が亡びるとき』、読んでみる価値はあると思います。なにか言いたくなる本ではあります。
ああ、でも今日は金曜日でしたね。新年第一週、お疲れ様でした! わたしは明日、新木場の東京都現代美術館に行こうかなあ、と思っています。「ネオ・トロピカリア」、あと3日です!