昨日のBEP(ベップ)、狭苦しいところで歌わされて、ちょっと可愛そうでしたが、テレビで見ると親近感が湧くのは事実ですね。(それにしても、Will I Am の髪型、まだ見慣れません。あのドレッド・ロック風のやつに慣れていたので。)なんなら、ファーギーの新作も聞きたいです。
さて、東京詩ゼミ、今週の宿題は「言葉」でした。サンプルは、山之口獏。で……
実は先週桑田佳佑(「東京」)とYUI(「TOKYO」)、今週は福山雅治(「東京にもあったんだ」)と東京事変(「群青日和」)、についての学生の発表がありました。このうちサザンと福山の歌については、わざと強めに批判しました。(学生たちには、批判の練習でもあるからいちいち傷つかないでと、あらかじめ言ってあります。)
批判の内容は単純で、ようは言葉が「どこかで聞いたような」もののパッチワークに過ぎないということ、そしてもう一つ、男の側の自己惑溺が感じられるということ、この2点です。
この2曲に共通しているのは、別れた彼女の幸せさえ願っている(悲しい/大物の)オレ様、というところ。うまい具合に、4人いる女子学生が、(特に桑田の曲には)口をそろえて「キモイ」「ヤダ」「カンベン」を連発したので、ちょっといいかも、なんて感じで聴いていた男子学生には、ショックだったかもしれません。いいことです。
YUIという歌手のことはよく知らないのですが、まだ若くて、自分の気持ちと、単なる「イメージ」がまだ区別できていない感じ。でも、自分の言葉を求めている印象はありました。
そしてこの4人の中では、やはり椎名林檎の言語センスは飛び抜けています。発表した学生は、難しい、を連発していましたが、それほど難解ではないと思いました。いわゆる純粋詩に近い感じがしました。
突き刺す十二月と伊勢丹の息が合わさる衝突地点
なんて、ちょっといいですね。
で、学生のみなさんに、そういうつもりで、つまり、パッチワークではなく、自分の言葉を探すように、といったのですが…… そのせいかどうか、今週は作品に力が籠っているように思います。その調子で!
(まあ本当は、その「自分の言葉」自体、ある種のパッチワークなわけですが、それはおいおい……)