今日の「東京詩」ゼミ、発表はMr.Children (「東京」)と、加藤ミリヤ(「TOKYO STAR)」でした。
ミス・チルのほうには、こんな一節が;
思い出がいっぱい詰まった景色だって また
破壊されるから 出来るだけ執着しないようにしてる
「破壊」という語が、強いですね。それは実際には、「スクラップ&ビルド」のことでしょうが、ここでは「破壊」のほうだけが注目されています。で、20人中7人いる、建築学科の学生に訊いてみました、君は「破壊」についてどう思うか? 自分が彼(女)と初デートした公園が、高層ビルに生まれ変わり、もうその公園の正確な場所さえ分からない、それでいいのかと?
う~ん、と迷った学生もいましたが、やはり多くは、それはもう破壊しかないんだ、と答えました。「やはり」というのは、そこを否定すると、建築の可能性がかなり制限される気がするからです。
以前も書きましtが、建築というのは、都市の貌を決める重要な一部で、しかもそれは実用物であり、ある耐用年数の中でしか存在し得ない、かなりはかないものなんですね。特に日本では。
その前提の中で、「破壊」が必然的にもたらす痛みを忘れずに、建築するならして欲しいと思いました。
一つ、ややエゴ? という感じがするのは、東京は「破壊」するけど、たとえば故郷静岡はいつまでも(!)今のままでいて欲しい、的な感想です。これって、建築にとどまらないんですね。オレはこれから東京に行き、都会のルールに染まっちまうけど、故郷に残るみんなは、どうか変わらないでいて、みたいな。これって、ちょっと違和感感じますね。でも、こういう感情はしばしば歌われ、それに共感する学生も少なくない。う~ん、どういう心理なんでしょう?