今日は6月12日。となりのとなりの研究室の、ミスター・ハプスブルグ先生の誕生日でした。おめでとうございます! お嬢さまたちから i-pod をプレゼントされたそうで、嬉しそうでした。週末には、お嬢さまがCD などからi-pod に落としてくれるそうです。いいですねえ ♪
さて、今週の詩の宿題は、「リアル6月10日」。どうしてこんなお題にしたのかというと……
明治後期から読み始めた「東京詩」も、そろそろ戦後に入ります。で、やはりエポック・メイキングな日付と言えば「8月15日」。及川均はその日、東京駅で玉音放送を聞いたことを書き、それから30年ほどたったころ、俊太郎は「八・一五」という詩を書いています。で、この授業でも、なにか記念日(?)的な日付を決めようと思ったわけです。
(それからもう一つ、先日紹介した『希望の一日』のマネでもあります。)
でやってみたら、これがたまたまサッカーの日本代表戦があった日らしく、その試合のことがそこここに顔を出し、全体として見ると、ちょっと面白いことになりました。
ある学生は中間試験の後、バイトを経て食事中にサッカーを見、別の学生は実際に観戦に行き、また別の学生はどうやらスポーツ・ニュースか何かでこの試合を見、体調が悪くて授業中ぼんやりしている女子学生がいるかと思えば、関数電卓にハマッテ喜々として計算を繰り返す女子学生もいる…… そしてもう一人、たまたまその日に訃報を受け取る学生もいる……
ほんの思いつきでやったのですが、思いのほかドラマチックな厚みが出ました。来週の授業で、コピーしてみんなで読んでみます。
ああ、でも今唐突に思いましたが、これって「現在」なんでしょうか? 「現在」をどう掴むのか、それには何を拠り所にしたらいいのか、「現在」は多層的なのか、だとすればその厚みはどれほどなのか? もちろん、理工学部の総合文化ゼミに出席している20人の「現在」は、世界の「現在」と置き換えられるはずもありませんが、なにかね、やはりそこにはある種の「層」になった「現在」が感じられるのでした。
で明日は、さらに若い高校生の「現在」です! どうなるでしょう?