2011年1月16日日曜日
『十二夜』
同僚である管さんの、つい先日のブログに、
今シアターコクーンで上演中の『十二夜』の体験記が載っていました。
http://monpaysnatal.blogspot.com/2011/01/blog-post_09.html
う~ん、これは見ないと。
というわけで、ヤフオクでチケットを買い、今日行ってきました。
『十二夜』は、実は『ハムレット』と同時期に書かれていて、
この作品以降、シェークスピアの主戦場は悲劇に移るという、
いわば「蝶番」ともいえる作品のようです。
で、『十二夜』自体は、一応喜劇ということになっているわけですが、
そこはシェークスピア、なかなか苦く、暗いシニスムも顔を出しています。
今回の上演は、管さんのブログの通りで、
特に松たか子さんは、声がキレイ。歌っている時はなおさら。
そしてわたしは、リュートの音もすごく好きなので、音楽はほんとに楽しめました。
また、遠景に海を置いた砂浜風のセットも、美しいものでした。
わたしはシェークスピアのことはよく分からないのですが、
この『十二夜』は、中でも「分からな度」が高めの作品です。
(今日の演出では、
「顔も、ひとつ。声も、ひとつ。服も、ひとつ。なのに、体は、ふたつ」
のあたりの事情に力点が置かれていました。)
その理由のひとつは、あまりにもお伽噺風に見えるストーリーが、
実は全体として「妄想」の産物であり、
ある意味主役ともいえるフェステという道化は、
それらの「妄想」に傷を付けて回っているようにも見えるということです。
(このあたり、光文社文庫の「解題」がすっきりしてて分かりやすいです。)
そして今日の演出では、フェステは、今シアターコクーンで演じること自体をも、
傷つけていました。
彼は、「オーシーノを知っているだろう?」と言われた時、
「ああ、あのカットされた場面で出会った人ね」
と言い放つのです。そうです、本当に今日は、
その二人の出会いのシーンはカットされていました。
この年末年始は、『ハムレット』、『テンペスト』「十二夜』と、
なぜかシェークスピアに縁があります。
でも、たしかに面白いんですよねえ。