2020年11月4日水曜日

ポスト・トゥルース

大阪は、どこかうさんくさい話を蹴散らしました。
よかったと思います。

で、アメリカでも投票が始まりました。
これが先進国? と思わせられたのは、
起こりうる暴動に備えて、
店舗を板などで保護している映像です。
明らかにお金も、手間もかかっています。
それでも、店舗が破壊されたり、
商品が略奪されたりするよりはマシ、
ということなんでしょう。
銃の販売が伸びているというニュースもありましたね。
(アメリカは、建国神話の中に、
銃で自分を守る物語が組み込まれているので、
銃を買うことの持つ意味は、
日本での印象とはずいぶん違うでしょうけれど。)

ポスト・トゥルース、という言い方が目立つようになったのは、
ちょうど前回トランプが勝った頃だったように思います。
たしかに、ポスト・トゥルースと言って真っ先に思い浮かぶのは、
あのイカシタ髪型の大統領でしょう。

でもところで、「トゥルース」は大事なんでしょうか?
それはもちろん、そうでしょう。
自由主義ていうのは、真実を土台にしている(ことになってる)わけですから。
ただ、ユヴァル・ノア・ハラリによれば、
そもそも人類は、「ポスト・トゥルースの種」だということになります。
どういうことか?
いい例は宗教です。
聖書でも、クルアーンでも、アヴェスタでも、
そこに書かれているのはフィクションであり、
「ポスト・トゥルース」以外ではありません。
いや宗教は同じじゃないでしょう? という気もしますが、
10億人が1000年信じれば宗教で、
100万人が1年だけ信じると「ポスト・トゥルース」なのか、
という問題があります。
ただハラリは、
この「ポスト・トゥルース」を作り出し、
それを集団で信じるように持っている力こそが、
人類をドライブさせているのだ、というのです。
人間は、「物語」で、「フィクション」で動くのだと。
たしかに戦争も虐殺もするけど、
橋や病院や学校を作ったりもするわけです、
フィクションを信じた人間は……。

まあそれはともかく、
あのイカシタ髪型は、
もう見たくありません。