よかったと思います。
で、アメリカでも投票が始まりました。
これが先進国? と思わせられたのは、
起こりうる暴動に備えて、
店舗を板などで保護している映像です。
明らかにお金も、手間もかかっています。
それでも、店舗が破壊されたり、
商品が略奪されたりするよりはマシ、
ということなんでしょう。
銃の販売が伸びているというニュースもありましたね。
(アメリカは、建国神話の中に、
銃で自分を守る物語が組み込まれているので、
銃を買うことの持つ意味は、
日本での印象とはずいぶん違うでしょうけれど。)
ポスト・トゥルース、という言い方が目立つようになったのは、
ちょうど前回トランプが勝った頃だったように思います。
たしかに、ポスト・トゥルースと言って真っ先に思い浮かぶのは、
あのイカシタ髪型の大統領でしょう。
でもところで、「トゥルース」は大事なんでしょうか?
それはもちろん、そうでしょう。
自由主義ていうのは、真実を土台にしている(ことになってる)わけですから。
ただ、ユヴァル・ノア・ハラリによれば、
そもそも人類は、「ポスト・トゥルースの種」だということになります。
どういうことか?
いい例は宗教です。
聖書でも、クルアーンでも、アヴェスタでも、
そこに書かれているのはフィクションであり、
「ポスト・トゥルース」以外ではありません。
いや宗教は同じじゃないでしょう? という気もしますが、
10億人が1000年信じれば宗教で、
100万人が1年だけ信じると「ポスト・トゥルース」なのか、
という問題があります。
ただハラリは、
この「ポスト・トゥルース」を作り出し、
それを集団で信じるように持っている力こそが、
人類をドライブさせているのだ、というのです。
人間は、「物語」で、「フィクション」で動くのだと。
たしかに戦争も虐殺もするけど、
橋や病院や学校を作ったりもするわけです、
フィクションを信じた人間は……。
まあそれはともかく、
あのイカシタ髪型は、
もう見たくありません。