増村保造の『曽根崎心中』
について書いてみたいというので、
急遽、その舞台版を見てみました。
道行き、というのは、
日本の古典文芸の一つの形だろうし、
その現代版が、
たとえばロード・ムーヴィーなのでしょう。
そこでは、
歩きだけではなく、
電車も、クルマも使われていますが、
「移動」という点で、
そこには明らかに繋がりがあると思っています。
ただ、
あらためて「曽根崎心中」を見ると、
元禄時代という華やかに聞こえる時代も、
階級移動の可能性は皆無で、
制度を変更することも不可能で、
多様性もセカンド・チャンスもない、
きわめて閉ざされた世界だったんだろうという気がします。
「心中」は、
まさにその閉塞の突き当たり、という感じ。
さて、彼はどんな論文を書くのでしょうか?