2011年12月2日金曜日
リュテス
「パリ」の起源はシテ島にあり、
という話、どこかで耳にしたことがあるでしょうか?
今手元にあるどのガイドブックを見ても、
もう少し詳しいどの本を見ても、
たしかに「起源はシテ島」と書かれています。
でも、ネット上であちこち見ているうち、wiki に意外な記述を見かけました。
「リュテス(当時のパリ)の中心はナンテールだったのかも」というのです。
ナンテールは、パリの北西、
ラ・デファンスを通り抜けてまっすぐ行ったところ。
メディの出身地で、いわゆる「郊外」です。
これが出ていた項目はここ;
http://fr.wikipedia.org/wiki/Lutece
そして ↑ の「注4」が、
http://www.nanterre.fr/NR/rdonlyres/C5BBAC82-4EF2-4C99-9090-C5E27E3C43FE/0/Expoarch%C3%A9ologiqueCdeQ.pdf
Lutèce はフランス語。
日本ではラテン語を使って、
「ルテティア(Lutetia)」とか「ルテシア」とか書かれることが多いですが、
最近では「リュテス」という表記も見るようになりました。
パリジイ人が住んでいた土地を、
武力を持って制圧しようとしたローマ人(カエサル)が、そう呼んだのですね。
シテ島にパリジイ人がいたのはたしかだとしても、
それがリュテスの周縁だったとしたら、
そしてもし本当にナンテールが中心だったのだとすれば、
ずいぶん「パリ」の印象も変わる気がします。
ローマ人が、中心をシテ島に「移した」ことになるし。
ただいずれにせよ、地中海文化圏の最果ての地だったパリが、
ヨーロッパの表舞台に躍り出てくるのは、
まだまだず~~~っと先なんですけどね。