2015年9月22日火曜日

『わたしの木下杢太郎』


身内の話が続いて恐縮なんですが……

わたしの母親(岩阪惠子)の新刊、

『わたしの木下杢太郎』(講談社)

が発売されました。

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97%E3%81%AE%E6%9C%A8%E4%B8%8B%E6%9D%A2%E5%A4%AA%E9%83%8E-%E5%B2%A9%E9%98%AA-%E6%81%B5%E5%AD%90/dp/4062195305/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1442851533&sr=8-1&keywords=%E6%9C%A8%E4%B8%8B%E6%9D%A2%E5%A4%AA%E9%83%8E

木下杢太郎(きのした・もくたろう)は、
1885年(明治18年)に生まれ、
1945年の、敗戦から2か月後に亡くなった詩人です。
ただ彼は、詩を書き、絵を描く一方で、
東大医学部教授として、細菌学の研究にも没頭しました。

この本では、
芸術と科学という2つの極が、
彼の中でどんなふうに通じ合っていたのか、
彼が追い求めた「美」は、
この両極とどんな関係にあったのか、などが、
丹念に、そして愛をもって語られてゆきます。

杢太郎というと、
「パンの会」を思い出し、
北原白秋を思い出し、
さらには、
(『東京詩』の中でも触れたのですが)
吉本さんが「佃渡しで」を書いたとき、
「木下杢太郎」や「パンの会」や「明治の大川端趣味」を背負った
「この風景にとどめを刺してやる」つもりだった、
などということが思い出されますが、
この本を読むと、
杢太郎という人は、
とても「ああ、江戸情緒ね」などといって片づけられない人であることが、
よくわかりました。

東京を愛した彼は、
パリに行った折には、
「なんと云っても巴里の菓子はうまい」と書き、
さらにはパリを、
自分の「愛人」にたとえさえします。
杢太郎が潔癖症だったことを考えると、
この比喩にはちょっとどきりとしました。

身内の本を褒めるのもなんですが、
これはとてもいい本だと思いました。
読みやすい文章で、
その時代を生きた一人の人間の姿が、影が、
目の前に立ち上るようでした。