今日の東京は、ほぼ一日降ってしまいました。
したたかに濡るる一樹やこどもの日(川村五子)
「初夏の鮮やかな木々が、世界を祝福していると感じられる甘美なひとときである。」(土肥あき子) そういえば、近所の神社の大木も、したたか濡れていました。
というわけで行くところも無く、しかないので学校へ(!)行ってきました。ゼミのレポートが提出されているはずだからです。
で、ありました。20人×2=40、にはわずかに足りません(数人未提出)が、工夫されたレポートが集まりました。
特に「フランス映画」のほうは、「上から書くように」と言ったのが少しはよかったのか、わりに堂々と書いてくれています。少なくともこのゼミの学生たちは、理系だから書くのは苦手、という感じはまったくありません。最初でこのくらい書けるなら、1年一緒に練習すれば、だいぶ上達するはずなのになあ、と思ってしまいます。(実際は半期なんですね。)
今はまだ『ニキータ』しか見てないのですが、いくつもの切り口が見えています。まずは変身。(成長、と捉える人もいます。さらに、自己発見、とみなす人も。)そしてその変身を促すものとしての愛。(いくつかの「愛」があります。また、単に「愛」というのではなく、「愛されること」の重要さに注目する人もいます。)
成長、と隣り合わせではありますが、これを「女性」の映画だとする見方もあります。華奢な女性(アンヌ・パリロー 画像)の、強さと弱さ…… 彼女は「暗殺者」なわけだから、そのままモデルにはならないけれど、その人間的な目覚めに注目すれば、(特に女子学生にとって)一つのヒントにくらいにはなる気がします。
(さっきふと思いついたんですが、来年のゼミ、「フランス映画における女性たち」というのはどうでしょうか? さまざまなヒロインの描かれ方を、時代背景とともに追う、なんてのは? 少しははみ出して、『エイリアン』とか『グロリア』とかも含めて。)
それから演出上の工夫についての指摘もありました。時間の扱いとか、コントラストのつけ方とか。
(『ニキータ』には、実は回想シーンがありません。ということは、物語内のすべては、起きた時間順に描かれているのです。これは、たとえば冒頭に回想シーンをもってくるというような、とても安易な構成とは一線を画しています。回想なしで描く。これができて初めて作家でしょう。回想に頼るのはへっぴり腰だと思います。
でもその代りに、『ニキータ』では、さまざまな時間の圧縮・省略が行われています。長いところでは3年、短いところでは10秒ほどのスキップ。学生たちの中に、分かりづらい、という感想があったのは、この辺に慣れていないからだと想像されます。)
そして一人、 『ニキータ』はすごく古く感じる、という意見がありました。これは…… わたしは全然古く感じないので、ちょっと驚きました。そのうちディスカッションのときに、彼女にそのへんを説明してもらいましょう。で、もし広がるなら、「新しさ/古さ」についても、話せたらいいと思います。
たった1本の映画でも、話すことってずいぶんあります!