昨日はお茶の水で、メビウス&浦沢直樹&夏目房之介(&永井豪&谷口ジロー&荒木飛呂彦)、参加してきました。
1000以上入れる会場は満員。静かな興奮が満ちる中、会は13:30に開始。2時間半の長丁場で、ちょっと休みたい時間帯もありましたが、2度目はないな、という感じのイベントになりました。
見どころは、やはりメビウスと浦沢のパフォーマンス、つまり、その場で絵を描いて見せる場面でした。普段読者は、できあがった絵を見せられているわけですが、ああ、こんな風に描いてゆくのねえ……
なんというか、頭の中にあらかじめ絵があって、それを紙の上に呼び出している感じ、紙の上で探しているのではなく。(かつて小林秀雄は、ロダンを評して、彫刻家自身何を彫るのか知らないうちに、それでも鑿は削っていく、というようなことを書いていましたが、それとは反対の印象。)それにしても、うまいもんです。(←当たり前!)
でひとつの(これも当たり前の)結論、やっぱマンガは絵、なんですね。
ただ、メビウスの日本人画家への影響が話題になる場面では、別の発見もありました。コマ割りの問題です。
ここで名前が挙がったのは、小池桂一でした。彼は言ったそうです、コマ割りは音楽だ、と。
そう、つまり「時間」が問題なんですね、コマ割りでは。1コマ目、2コマ目、そして3コマ目に移るとき、そこに時間が流れ始め、マンガが動き出す。(さっきの絵の場合と違い、1コマ目を描いている時点では、まだ3コマ目に何を描くかはわかっていないんだ、とメビウスも浦沢も口を揃えました。)
生成、なんて言葉が思い出されます。この「音楽」が作られる感じは、絵が描かれている瞬間の感じに近いのかな、なんて思いました。
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そしてそのあと、明治大学大学院ディジタル・コンテンツ系の発表会に寄らせてもらいました。作品もさることながら、一番印象に残ったのは、学生たちが楽しそう! ということでした。いいなあ、若いって! これから大学院なんて、羨ましい。とにかく、がんばって欲しいです。
彼らが使う新校舎は、もと明治高校があった場所。アテネ・フランセの近くなんですが、実はその校舎に沿うように、「男坂」があります。そしてこの坂を登りきったこのあたりに、石川啄木が初めて上京した時泊まった宿がありました。その宿の窓辺から見た東京を歌った詩が、『東京詩』の2番目に入っています。「眠れる都」という詩です。
でこれを含む左右社シリーズ、少しずつですが確実に進んでいます。目標6月中!