Un Français(2014) という映画を見てみました。
(『フレンチ・ブラッド』という邦題で、日本でも、
今年初めのマイ・フレンチ・フィルム・フェスティバル2016において、
期間限定で配信されていたようです。
つまり、字幕版も存在はするんですね。)
https://www.youtube.com/watch?v=hBZGOCXf3KQ
この作品、公開時には、
なかなかの「話題」になったようです。
というのも、中心的に描かれるのが、
極右のスキンヘッドたちだからです。
この100分に満たない映画の時間的舞台は、
1994~2013の19年間です。
もちろん、時間はとびとびに繋がれ、
確かに飛躍はあるのですが、
わたしには、それはぜんぜん不自然には感じられませんでした。
主人公はマルコ。
彼は、仲間のスキンヘッズたちと、
アラブ人、黒人、ユダヤ人たちを、
手あたり次第痛めつけては、日々を送っています。
ほぼ、ナオ・ナチだと言ってもよさそうです。
けれどマルコは、そうした憎しみと暴力の日々に、
だんだん疲れてきます。
結婚して子供まで作ったコリーヌとも、
彼女の極右的過激さゆえ、
うまくいかなくなり、
結局マルコは、仲間とも妻とも離れ、
いわば「まっとうな」人生を歩み始めます。
(ただし、かつての仲間が逮捕されれば面会に行くし、
入院すれば会いにも行きます。いい人です。)
一方、かつての仲間の一人は、
本を書き、ついには政治家として活動を始めます。
もちろん、極右の政治家です。
マルコと彼らの距離は、
もう、もとには戻らないところまで行き着きます……。
この映画の中では、3回、
フランス国歌が歌われる場面があります。
まずは、まだマルコがバリバリのスキンヘッズだった頃のこと。
ほんとになんでもない、
ごくごくふつうの小さなカフェに押し掛けたマルコたちは、
店主に包丁を突き付けた上で、
静かにお茶とゲームを楽しんでいたアラブ系の老人3人に対し、
テーブルをゲームごとひっくり返し、
立たせ、並ばせ、
そして国歌を歌うことを強要するのです。
2度目は、ある豪壮な邸宅内でのこと。
極右の連中(そこには多くの背広組もいます)の集まりにおいて、
ル・ペン父がニュースに現れた後、
彼らは国歌を合唱するのです。
ただしマルコは、その輪に加わりません。
そして3度目は、1998年のワールドカップ決勝戦が中継されている、
海の家でのこと。
店主もマルコも客たちも、
レ・ブルーの活躍に、
喜びに満ちた国歌を歌うのですが、
そこには、黒人も、アラブ人もいるのです。
そして今度はマルコも、一緒に歌います。
(この場面の直後、やはり極右のマルコの妻は、夫に向って、
「アラブ野郎がフランスを優勝させたからって、何が面白いの?」
と食って掛かります。)
これら3度の国歌の場面は、
マルコの変化をはっきりと示しているのでしょう。
巧みな演出だと思いました。
ネット上で見てみると、
完全に毀誉褒貶ですが、
わたしは、いい映画だと思いました。
タイトルの「一人のフランス人」は、
マルコでもあり、仲間の一人一人でもあり、
要は、このフィルムに登場するすべての一人一人なのでしょう。
エンディングは、2013年に行われた、
mariage pour tous(=つまりは、同性婚を認めること)に反対する極右たちの、
かなり大掛かりなデモの様子がテレビに映し出されます。
ミッテラン引退の時代に始まり、
1998を経て、
2013に至っても、
極右は依然として、強烈に、
存在しているのでした。