ジェラール・フィリップ第2弾として、
『肉体の悪魔』(1947)
を見てみました。
わたしも、これを見るのは40年ぶり(!)です。
https://www.youtube.com/watch?v=EGCX1ADq4F4 ←全編版 画質イマイチ
WWⅠ下のパリとその郊外(La Varenne-St.-Hilaire)が舞台です。
(WWⅡが終わった直後に、WWⅠ時台の物語を語っているわけです。)
これは要は「メロドラマ」で、
17歳のチョーイケメンの男子フランソワと、
結婚控えた年上の女性マルトとの悲恋物語です。
メロドラマらしく、
あっちに揺れたりこっちに傾いたりで、
結局2時間かかります。
マルトの婚約者は出征中で、
だからこそ彼女は、
フランソワと「浮気」することができます。
そして、もし戦争が終われば、
マルトの夫が帰ってきて、
この「浮気」も終わることを、
二人は知っています。
だからフランソワは、
戦争の話はしないことにしよう、と提案もするのです。
つまり、この映画の構造の核には、
「不在」としての夫/戦争、があります。
ただフランソワは、
戦争を完全に不在のものとすることはできません。
(フロイト的な「否認」は、
中途半端な形でしか達成されないのです。)
そして、
戦争が終わりに近づき、
民衆がそれに沸き立ち始めるのに合わせて、
二人の恋は、
どうしようもない隘路に入ってゆくのです。
もちろん、
17歳のフランソワは、
矛盾を抱えた未熟なワカモノで、
homme とは言えません。
マルトの母親は、
彼を bonhomme「坊や」と呼びさえします。
(字幕では「学生さん」)
彼の行動に、
まあ、多くの人はイラッとすると思いますが、
それはそれとして。
戦争と恋の相克、というのは、
珍しいテーマとまでは言えませんが、
フランソワ(語源が「フランス」と同じ)という名前も相まって、
なかなか皮肉の効いたメロドラマだと思いました。