学生たちと話していて、ところで先生の専門なんなんですか? と訊かれることがあります。こういうときは、あまり細かくは答えず、「まあ、文学かな」などと曖昧に言うのだけれど、すると中には、さらにこんな風に応じてくる学生もいます。
「でも文学って、マニアですよね」
これには、色んな返事が考えられるでしょう。でも文学や哲学は、学問の中の学問だよ、とか、言葉って奥が深いよ、とか…… とはいえ、彼らが「文学」を「マニア」扱いする気持ちは、実はわたしにもよく理解できるのです。
いわゆる「文学」的な仕事の中には、まさに「文学的スケール」の中にすっぽり収まっているようなものもたくさんあります。その空間は、(内部の人間がどう言おうと)厚い壁で囲われているように見えます。ただし、その閉ざされた空間で生み出される作品は、質が低いかということそんなことはなく、むしろその質は高いものだとは思うのです。だからこそ一層、壁は厚みを増して見えるのえすが……学生たちが「マニア」と言うとき、かれらがなんとなく感じていることは、このあたりに由来するのでしょう。
ただ一方で、そうした壁から出て、広い世界を仕事の場としようとする人たちもいます。彼らの仕事は、制約がない分、仕事の形を模索するところから始めなければならないわけです。比喩的に言うなら、彼らは外に出、出会い、スパークを起こす。そのスパークは彼ら自身だけでなく、その場に居合わせた人たちにも降りかかる、そしてそのスパークは街中に運ばれ、またどこかで違う色のスパークを起こす…… という感じでしょうか?
なんだか申し訳ないくらいおこがましいんですけれど、NKHのラジオ講座も、そんな小さなスパークの1つであってくれればなあと思って、作っています。電波という、大きな「場」の力を借りて。