2008年5月19日月曜日

ヴィーナスとバッハ


昨日が公開最終日だった、「ウルビーノのヴィーナス」、先日やっと見てきました。いやあ、ヴィーナスは世の中に数々あれど、このヴィーナスには魅了されました。画家は、(そして小説家や詩人たちも、)「残る」ことを目標にしているわけではないでしょうが、どうしようもなく残ってしまう作品というものがあるようです。それがいわゆる、藝術の高さというものなのでしょうか?

フランスに限らず、ヨーロッパで絵を見るときにあったほうがいいもの、それはまず、「ギリシャ神話」への親しみ、そして2番目は「聖書への親しみ」、ということになるでしょう。

「ギリシャ神話」について言うなら、今回の展覧会でも、「エロス」や「ミネルヴァ(アテナ)」が何度となく顔を見せていた通り、やはりヨーロッパにはそれを題材にした作品が多くあります。言ってみれば、縁側で泣いているイクラちゃんとタラちゃんの絵を見る場合、あるいは、教室の片隅でたむろしているハマジたちの横顔を見る場合でも、お話全体を知っているほうが、それは絵を味わうのには有利にちがいないですね? まあ、そういうことだと思います。(ただ「ギリシャ神話」のやっかいさは、それが1つの大きなストーリーになっているわけではない、という点です。大きな木に、たくさんの実がなるような感じで、多くのエピソードが寄り添っています。)

そうそう、ちょっと話がずれますが、たとえば19世紀後半以降の絵、マネやモネからこっちなら、幸いあまり「知識」はいらない気がします。というのも、そこに描かれているのは「わたしたち庶民」なので、なんとか想像力が届く気がするからです。なにかこう、今のわたしたちの生活と、たしかに繋がっていると思えます。

話を戻すと……
え~と、あと「聖書」でした。なんだか、やっかいなものが並んでますか? ただ、これも「ギリシャ神話」、ないし「サザエさん」と同じことです。

今唐突に思い出しましたが、昔、阿刀田高さんの著作で、『ギリシャ神話を知っていますか?』という文庫がありました。入門用の第1冊目には、とても好都合だった記憶があります。それにこのシリーズには、『旧約聖書』と『新約聖書』もあったはず。これは使えます。

バッハの研究者の中には、「キリスト教が分からない人間にバッハは分からない」と言い張る人もいるようですが、まあ、そんなこともないだろうと思いたいところです。(ちなみに、わたしが今日までに聞いたCDの中で、明らかに最も繰り返し聞いたのは、バッハの無伴奏チェロを、リュートで演奏したものです。NIGEL NORTH, Bach on the lute 4枚組!)

わたしはおおむね「新しがり」のほうですが、やはり「残ってしまう」ものと向き合うと、圧倒されることもあります。そしてそれは、気持ちのいいことですね。