和泉キャンパスに移動し、これに参加しました;
http://www.meiji.ac.jp/koho/hus/html/1277774516.pdf
早尾さんの著作には興味を持っていたのですが、
なかなか手が出せなかったので、
この際まずは授業に出て、と思ったのでした。
そして授業は、予想を超えて充実したものでした。
90分の授業&質疑を、簡単にまとめることはできないのですが……
まず取り上げられたのは、最近翻訳が出版された
シュロモー・サンドの『ユダヤ人の起源』です。
この本は、本国イスラエルをはじめ各国で話題になった本だそうです。
でそのミソは、
「古代ユダヤ人の離散・帰還などなかった」
です。
たしかに捕囚となったユダヤの宗教家などはいたし、
金持ちたちはローマを目指したりもしたけれど、
それはごくごく一部。大半のユダヤ人たちはそのままパレスチナに残り、
キリスト教や、やがてはイスラム教に改宗していった……
この、イスラエル人学者自身による「建国の正統性の否定」こそが、
『ユダヤ人の起源』を話題の書に押し上げたわけです。しかし……
イラン・パペは、以前から、その建国の物語がフィクションであることなど、
歴史学科の1年生なら誰でも知っていることだと言っていたそうです。
(『イラン・パペ、パレスチナを語る―「民族浄化」から「橋渡しのナラティヴ」へ』)
ではなぜ、サンドは今またその話を繰り返すのか。サンドの意図は……
かつて1つの罪があり、その結果「子」が生まれた。
けれども「子」には罪はない。
だから、いつまでも罪の話をしていないで、その「子」を大切にしよう。
「子」が現在のイスラエル国家であり、罪はナクバです。
(ナクバ=イスラエル建国時に、暴力的にパレスチナを破滅させたこと)
でも、こんなレトリックが通用するでしょうか?
しかもサンドは「現状」を肯定するのですが、
その「現状」とは、要するに既成事実の積み重ねそのものであるわけです。
サンドは、イスラエルの建国神話の架構性を暴いたのではないのです。
彼は、「ユダヤ・ネイション」に代わって、
「イスラエル・ネイション」を肯定することを考えているようなのです。
そしてその「イスラエル・ネイション」とは、常にユダヤの支配権が認められ、
アラブ人は、マイノリティーとしてのみその存在が許容される、というスタンスです。
これは、アラブ人は追放せよ、と叫んだかつてのネタニエフ首相よりは
マシかもしれません。でもここでは、「多文化主義」が、
現状(=反アラブ)を肯定をする道具になっているわけです。
「ユダヤ・ネイション」の否定が、
アラブと正面から向き合い、共存する契機になればよかったのに、と、
早尾さんはお考えにようでした。
これ以外にも、色々興味深いお話があり、
ほんとに行った甲斐がありました。
とてもいい特別授業でした!
*ご参考まで; http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-17.html