2015年1月4日日曜日

『ミッドナイト・イン・パリ』

たぶん好きにならないだろうという予感が強くしていて、
それで今日まで見なかった『ミッドナイト・イン・パリ』、
でもまあたった94分のことだし、
どれくらい好きになれないのか確かめるのもいいかなと思って、
とりあえず見てみました。
1920年代のパリに心酔していたアメリカ人脚本家が、
大金持ちのフィアンセ(とその両親)と一緒にパリに滞在していたとき、
まさにその20年代にタイム・スリップする、という話です。

映画や本で、
あまり面白くなかった、と感じた時は、
基本、ここで取り上げることはしないのですが、
今回は、なんというか、
面白くなかったというのを越えていました。

いろいろ突っ込みどころはあると思うのですが、
特に気になったところは、まずは、
1920年代、と設定されていますが、
それは、ダダ宣言翌年の1920年なのか、
シュルレアリスム宣言のあった1924年なのか、
『アンダルシアの犬』が上映された1929年なのか、
さっぱりわからないのが、どうも……。
そのへんは、監督の好みでなんでもOK のように感じられます。
この1920年代の10年間は、
1つの時空に詰め込んでいいようなものではないと思うんですが。
また、このことと通じていますが、
ウディ・アレン監督が、
シュルレアリスムをまったく理解していないことも気になります。
にもかかわらず彼は、主人公が、
パーティーですれ違ったブニュエルに対して、
なんの脈絡もなく、
『皆殺しの天使』のアイディアを吹き込む場面を挿入します。
ここでブニュエルは、センスの悪いでくの坊という感じです。
これが面白いと、ウディ・アレンは思ったのでしょうか?
わたしにはそうは感じられませんでした。
また、ガートルード・スタインのパートナーである
アリス・B・トクラスがまったく登場しなかったことも気になりました。
ウディ・アレン自身ユダヤ人であり、
やはりユダヤ人カップルである
ガートルードとアリスのことを知らないはずはありえないし、
探偵役には、
フランスのユダヤ人俳優ガッド・エルマレを起用しているし、
モディリアーニは「ユダヤ人」だと映画内で言っているのに、
アリスはスルーっていうのは?
そしてなによりも、
映画全体を覆うブルジョア的価値観が、
好きになれませんでいた。
主人公の、なんともお気楽で浅い感じの生き方も、
オチが提示するベタな教訓も、
その教訓と矛盾する、この作品そのもの作りも、また。