たぶん好きにならないだろうという予感が強くしていて、
それで今日まで見なかった『ミッドナイト・イン・パリ』、
でもまあたった94分のことだし、
どれくらい好きになれないのか確かめるのもいいかなと思って、
とりあえず見てみました。
1920年代のパリに心酔していたアメリカ人脚本家が、
大金持ちのフィアンセ(とその両親)と一緒にパリに滞在していたとき、
まさにその20年代にタイム・スリップする、という話です。
映画や本で、
あまり面白くなかった、と感じた時は、
基本、ここで取り上げることはしないのですが、
今回は、なんというか、
面白くなかったというのを越えていました。
いろいろ突っ込みどころはあると思うのですが、
特に気になったところは、まずは、
1920年代、と設定されていますが、
それは、ダダ宣言翌年の1920年なのか、
シュルレアリスム宣言のあった1924年なのか、
『アンダルシアの犬』が上映された1929年なのか、
さっぱりわからないのが、どうも……。
そのへんは、監督の好みでなんでもOK のように感じられます。
この1920年代の10年間は、
1つの時空に詰め込んでいいようなものではないと思うんですが。
また、このことと通じていますが、
ウディ・アレン監督が、
シュルレアリスムをまったく理解していないことも気になります。
にもかかわらず彼は、主人公が、
パーティーですれ違ったブニュエルに対して、
なんの脈絡もなく、
『皆殺しの天使』のアイディアを吹き込む場面を挿入します。
ここでブニュエルは、センスの悪いでくの坊という感じです。
これが面白いと、ウディ・アレンは思ったのでしょうか?
わたしにはそうは感じられませんでした。
また、ガートルード・スタインのパートナーである
アリス・B・トクラスがまったく登場しなかったことも気になりました。
ウディ・アレン自身ユダヤ人であり、
やはりユダヤ人カップルである
ガートルードとアリスのことを知らないはずはありえないし、
探偵役には、
フランスのユダヤ人俳優ガッド・エルマレを起用しているし、
モディリアーニは「ユダヤ人」だと映画内で言っているのに、
アリスはスルーっていうのは?
そしてなによりも、
映画全体を覆うブルジョア的価値観が、
好きになれませんでいた。
主人公の、なんともお気楽で浅い感じの生き方も、
オチが提示するベタな教訓も、
その教訓と矛盾する、この作品そのもの作りも、また。