中世の封建時代においては、
代表的な自由都市であり、
自治的で、独立的な空間でした。
特に14、15世紀ごろには、
その最盛期を迎えたとされています。
シェークスピアの『ヴェニスの商人』は、
この自由都市を舞台として、1596年に発表されました。
16世紀末ですから、最盛期ほどではなく、
かといってナポレオンに征服されるのはまだ200年も先であり、
十分に自治都市として機能していた時代です。
自由都市なので、
各地で迫害されたユダヤ人もやってきたし、
キリスト教徒と言っても、
他の地域の信者とはまた一味違っていたという指摘もあります。
『ヴェニスの商人』を読んだのは30年以上前で、
ほぼまったく覚えていません。
で、今回は、
映画版を見てみました。
(繰り返し映画化されるシェークスピア作品ですが、
この『ヴェニスの商人』だけは、
ほとんど映画化されてきませんでした。)
物語の中心にあるのは、
クリスチャンの貿易商、アントーニオと、
ユダヤ人の金融業者、シャイロックとの対立です。
前者は今、全財産を貿易船に投じています。
上手くいけば大金を手にするだろうし、
船が難破したりすればすべてを失います。
一方後者は、ユダヤ人共同体の中で生き、
当然娘のジェシカもユダヤ人です。
けれどこのジェシカが、ある男と駆け落ちを企てていることを、
シャイロックは知りません。
そして前者は後者を、
「猿」だの「犬」だのと言って蔑んでいます。
利息を取るのは許せない、というわけです。
(自分たちは奴隷を使っているのですが。)
しかし……
しかし……
ある時アントーニオは、
年下の友人バサーニオから、
資金援助を要請されます。
バサーニオには借金があり、
それを一気に片付けるため、
莫大なお金を相続したポーシャを射止めるため、
軍資金がいるのです。
しかしアントーニオには、手持ちのお金がありません。
彼は仕方なく、
ふだんは蔑んでいるシャイロックに借金を申し込みます。
シャイロックはあきれながら、
利息なしで貸してやろう、
その代わり期限に遅れたら、
おまえの肉を1ポンドもらう、と言い放ちます。
アントーニオは承諾します。
その後バサーニオの作戦は成功します。が、
期限内にお金を返却することはできず、
アントーニオは肉をはぎ取られることになります。
けれどその裁定の場に、ある博士が登場し、
一休さん風の裁定を下します。
肉は取っていい、が、血はダメだ、と。
もちろんそんなことはできませんから、
シャイロックは仕方なく、
(やっと用意できた)お金の受け取りで済まそうとしますが、
博士は、シャイロックが肉に固執したことを言い募り、
元金も返却する必要はない、と言い出すのです。
そしてついには、
アントーニオの命を脅かした罪で、
シャイロックの財産を没収するとまで。
(この博士とは、実は変装したポーシャでした。)
その後、アントーニオが「慈悲」を見せ、
シャイロックの財産没収は撤回されます。
でも、死後は、駆け落ちしたジェシカとその夫に、
財産が渡ることになります。
そしてその夫とは、
バサーニオの友人なのです……
『ヴェニスの商人』については、
おそらく膨大な先行研究があるのでしょうから、
ずぶの素人がなにかを書くのはかなりためらわれるのですが、
とにかく、いくつも疑問が残りました。
たとえば、バサーニオという人物。
高等遊民というのか、
消費的、快楽主義的で、
とくに何もしておらず、
金満世界をうまく泳いでいる男が、
大金を相続し、
男選びだけに専心している女と結びついたということ、
それは何を意味しているのか?
背景の家父長的な社会構造と、
どんな関係にあるのか?
また、変装したポーシャが裁定を下すというのは、
あまりに荒唐無稽で、
隠された意味があるのでしょうけれど、
それが何なのか、すぐにはわかりません。
今の目から見れば、
単なる大金持ちのお嬢さんの、
単なるデタラメです。
コメディということなのかもしれませんが、
これも現代の目から見れば、
ユダヤ人シャイロックが可哀そうすぎます。
まあ、民族差別的なわけだし。
(シャイロック自身もお金持ちだから、
経済的な格差による差別とは言えませんが。)
にもかかわらず、
ポーシャやアントーニオが麗しく、
清廉に描かれている。
これって皮肉?
それとも書き手が、
当時の時流に合わせた?
たしかに、
全財産を貿易に投じたアントーニオの不安は現代的だとか、
シャイロックの内面的多層性が現代的だとか、
バサーニオの消費的性向が現代的だとか、
一見かしずいているようで、
実際は主導している女性たちが現代的だとか、
は言えるでしょう。
でも、どうでしょう、
書き手の隠されたメッセージは、
わたしなどには読み取りにくいままです。
もっと勉強しないと。
あまりに荒唐無稽で、
隠された意味があるのでしょうけれど、
それが何なのか、すぐにはわかりません。
今の目から見れば、
単なる大金持ちのお嬢さんの、
単なるデタラメです。
コメディということなのかもしれませんが、
これも現代の目から見れば、
ユダヤ人シャイロックが可哀そうすぎます。
まあ、民族差別的なわけだし。
(シャイロック自身もお金持ちだから、
経済的な格差による差別とは言えませんが。)
にもかかわらず、
ポーシャやアントーニオが麗しく、
清廉に描かれている。
これって皮肉?
それとも書き手が、
当時の時流に合わせた?
たしかに、
全財産を貿易に投じたアントーニオの不安は現代的だとか、
シャイロックの内面的多層性が現代的だとか、
バサーニオの消費的性向が現代的だとか、
一見かしずいているようで、
実際は主導している女性たちが現代的だとか、
は言えるでしょう。
でも、どうでしょう、
書き手の隠されたメッセージは、
わたしなどには読み取りにくいままです。
もっと勉強しないと。