2022年6月24日金曜日

『駅馬車』から『クライ・マッチョ』へ

今週の大学院ゼミでは、

『駅馬車』(1939)

を見ました。


たしか、わたしの記憶では、
淀川長治さんが、「一番好きな映画」と言っていたはずで、
一台の駅馬車に乗り合わせた人たちの人生模様、
を描くロード・ムーヴィーだと言えそうなんですが、
アクションあり、
人情あり、
社会の階層性あり、
生と死あり、で、
よくできた映画なのは間違いないと思います。
ただし、
主役のジョン・ウエインが背負っているのは、
これはまちがいなくマチズモであり、
それがなんの疑いもなく肯定されているのは、
時代と言うべきなのでしょう。
女性は、
彼の恋人にして元娼婦であるダラスと、
アメリカ兵を夫に持つ臨月のルーシーが登場するんですが、
いずれも「銃後」の立場で、
マチズモを心配しながら見守るばかり、という感じです。
これも時代でしょう。
1つ興味深いのは、
このルーシーが生み、
しばらくはダラスが面倒見る赤ちゃんです。
この女の子は、なんの象徴になっているのでしょう?
未来のアメリカ?
それとも、
今後も続くぶ厚い「銃後」?
一方、
このルーシーと感情的なやりとりを行なうワルモノは、
同じ駅馬車に乗り込んできたものの、
アパッチの襲撃を受けたときに、
ただ彼一人、殺されるのです。
悪は処罰される、
あるいは、米兵の妻に横恋慕するヤツは処罰される、
でしょうか?

そして……

もう今ではマイナスの価値でしかないこのマチズモが、
タイトルの中に入りこんでいる映画が今年公開された、
と院生が言うので、それも見てみることにしました。
『クライ・マッチョ』です。

(続く)