同僚たちと近所の(おいしい)そば屋に行ったのですが、
なんと臨時休業。
ショックを堪えつつ、
斜め向かいのチェーンのラーメン店に向かい、
そこで冷やし中華を食べました。
まあ、同僚と一緒だと、
無駄話がとてもおもしろいので、
ランチのレベルが下がってしまったことも、
すぐに忘れてしまいます。
で、
食事を終えて店を出ると、
暑い……
この肌に直接来る感触は、
まぎれもなく「8月」のものです、
6月なんですが!
今日の映画のゼミでは、
先週見た『奇跡の教室』の解説をしました。
この映画、
まあ宣伝文句的には、
「落ちこぼれクラスがコンクールで優勝!?」
くらいでしょうが、
学生たちのレポートの多くは、
多民族的な生徒たちが、
最初は対立していたけれど、
コンクールのための作業を通して、
自然に共生していくようになる、
というもので、
もちろんそれはそうなんです。
が……
この10年、たった一度だけ、
この映画の特徴は「父性の不在」だ、
と書かれたレポートがありました。
これは、今M2の、
わたしの研究室にいる学生が、
去年書いてきたものです。
これは、別のでゼミで教えていた文脈から導かれたことなんですが、
このレポートを見たときには、
学生が成長している手応えがあって、
嬉しかったです。
まあそれはともかく、
『奇跡の教室』のヒロインであるゲゲン先生は、
その母親の死は語られるんですが、
父親にはまったく触れられません。
また彼女をサポートするのも中年女性で、
その女性にも「男の影」がありません。
生徒たちも、母と子、が2組描写されますが、
やはり父親はまったくの不在なのです。
これはなにか。
ゲゲン先生が「マリアンヌ」(「自由、平等、友愛」の擬人化)
だとしたら、
彼女は、もう恋人を持つ気がないようなのです。
そして恋人が「政治的選択」を表わすとすれば、
現状、選ぶべき選択肢はないことになります。
つまりこのマリアンヌはシングルで、
多くの子どもたち(生徒たち)を育てる母親なのです。
なんとマリアンヌは、シングル・マザーで、
現状を諦め、未来に託す決心をしているように見えるのです。
一見「父親」に見える校長は、
未来=多民族的な生徒たち、を育てる気はなく、
ゲゲン先生や生徒たちにしてみれば、
彼はいわば見捨てられた父親であり、
実質、不在も同然なのです……
『奇跡の教室』は、
一見「文科省推薦」的ですが、
実は、恐ろしいメッセージを含んでいると思います。