『カピタニ』
を見てみました。
「カピタニ」とは、主人公である刑事の名前です。
物語は、なじみの型を使っています。
つまり、都会(正確には南部)から刑事が、
閉鎖的で秘密の多い田舎の村で起きた殺人事件を解決する、
という形式です。
ただこのドラマは、
型はごく単純ですが、
多くの文脈を複雑に絡ませていて、
最初の数話を見ても、
その後の予想がまったくつきません。
カピタニの相棒となる女性警官もいい感じです。
(ただ彼女にはフィアンセがいるんですが。)
ドラマ内で使われる言葉の90%ほどは、
たぶん、ルクセンブルク語なんですが、
ときどきフランス語も使われます。
特に印象的だったのが、
「検死報告書」を読み上げる場面。
これがフランス語で、
それまでルクセンブルク語で話していた若い警官が、
突然フランス語を読み上げるのです。
ルクセンブルクでは、
公用語は、ルクセンブルク語、ドイツ語、フランス語、
の3つがあるが、
公文書はフランス語が使われる、
と聞いていましたが、
ああ、ほんとにそうなんだ、
と感じられました。
ドラマと映画の違いは、
「時間」にあります。
それは物理的な時間の長さでもあるし、
それと表裏一体の、
時間感覚、の問題でもあります。
ただ、この『カピタニ』を見て思うのは、
ドラマは物語だ、
ということです。
もちろん映画だって物語ですが、
それだけじゃありません。
この、「それだけじゃない」の度合いが、
映画の方が大きいのだろうと思います。
それにしてもなぜ、人は物語が好きなんでしょうね?