2009年2月17日火曜日


昨日、大学業務の流れで、同僚たちと飲む機会がありました。総勢7名。わたしにしてみれば、初めてお話する先生が3人。沖縄料理屋でした。

中で、特に印象に残ったのは、建築の先生とのやりとりでした。彼は、かつて大きなプロジェクトにいくつも関わり、ゼネコンに籍を置いたこともあり、6年前から大学教員になったという大御所です。年齢も、わたしより1回り以上上です。

1番面白かった、というか、わたしのこれまでの見方が覆されたのは、エッフェル塔の話になったときです。これはご存知の方も多いでしょうけれど、ギュスターヴ・エッフェルは、「橋」のエンジニアであり、エッフェル塔は「橋」を立ち上げたようなデザインです。そしてその塔は、鉄という新素材を用いて、当時の先端テクノロジーの力を示そうとしたものであり、それは石とガラスの街パリそぐわないと言われ、多くのパリ市民に敬遠された……

まあ、ここまでは共通認識なのです。でも、この先が、ちがっていたのです。

わたしはこれまで考えていたのは…… というわけでエッフェルは、「美」のことなんか考えてなかった。エッフェル塔に初めて「美」を見出したのは、20世紀初めの(ドローネーをはじめとする)芸術家たちであり、だからこそ彼らがその「美」について語っても、エッフェル自身は意外な顔をするばかりで、「美」のことなんか考えてもいなかったと答えた…… まあ、簡単にいえば、そんな風に理解してました。

そんなはずはない、と大御所はいいます。建築屋は、そして人間は、何かを作るという時に、「美」を意識しないはずはない、わたしだって、「美」を意識しなかったことなんてないんだ。エッフェルさんは、チョーの付く恥ずかしがり屋だったんだろう……

う~ん、なるほど。実際にたくさんの建物を作ってきた先生の発言だけに、説得力があります。彼が言うには、「先端」を扱う人は、とりわけその傾向が強いといいます。

「でも」とわたしは答えました、「かつて映画『家族ゲーム』の中で、夜の東京湾岸に立ち並ぶコンビナートの群れを見て、「ああ、きれい!」と言った少年がいたけれど、さすがにコンビナート作るときは、「美」なんか考えてないでしょう?」

「だからね、考えてるんですよ、コンビナートだって。考えるものなんですよ」 出来の悪い生徒に言い聞かせるように、彼は言うのでした……

「じゃあもう1つ質問」とわたし。「都市は、フツー自己更新する、つまり<生き物>みたいなイメージで捕えられがちだけど、どうなんでしょう、建築家の人たちもそう考えているのか、あるいは、彼らは都市を創造しているつもりなのか?」

「……それはね、こう答えましょうか。建築という仕事は、概念や美学だけじゃどうにもならないんです。どうしても、<形>がいるんです。そしてその<形>は使えるものじゃなきゃならない、10年20年と、使えるものじゃなきゃならない…… これで答えになりますか?」

分野違いの人としゃべるのは、だから止められません!