2009年2月5日木曜日

アキバにて


昨日はアキバで、かわなかのぶひろ(映像作家)さんによるオープン・ゼミに参加してきました。

前半は、前・映画史、とでも言うのでしょうか、エジソンやリュミエール兄弟以前の、のちに映画につながる技法について紹介してくださいました。(大昔、かなりそれに近い展覧会を見たのを思い出しました。)

後半は、いわゆるアンダーグラウンド映画(ほぼ=実験映画)を何本か見せてもらえました。中に、とっても面白いものがありました。たとえば「タンゴ」という作品は、舞台は終始一つの部屋。そこには開いた窓と、ベビーベッド、フツーのベッド、円卓、イス3脚、大きめの棚一つ、があります。

最初は窓からボールが投げ込まれ、それを男の子が拾いに来ます、窓を乗り越えて。そしてそれが何度か(ループで)繰り返されると、次は赤ちゃんを抱いたお母さんが入ってきて、おっぱいをやり、それから赤ちゃんをベビーベッドに寝かせます。で、彼女はそれを繰り返します。次は泥棒です。彼は男の子と同じ窓から忍び込み、棚から大きなケースを盗み出します。で、それを繰り返します。登場人物たちは、もちろん画面の中に同時に存在していますが、決してぶつかりはしないし、お互いの行動に気づきません。で…… 

人は増え続けます。盗まれることになるケースを運び込む人、机で宿題でもやるらしい少女、イスで倒立する体操選手、テーブルに食事を運ぶ人、それを食べる人、裸の女性は棚からワンピースを取って着るし、ベッドに倒れこむカップル、そして同じベッドでは赤ちゃんのおむつ換えもあり、あるいは老婆が横たわりもします。つまり、ピーク時には10人以上の人が、小さな部屋ににぎやかに出入りするのです!

そして最後は、だんだん人が減り、またしても窓から投げ込まれたボールを、今度は老婆が拾って、それを静かに部屋から持ち去って終わります…… で、面白いでしょ?

あと、まったく個人的に驚いたことを一つ。私が小学生の頃、父親がある短編映画について語ってくれました、「初めから終わりまで、柵しか映ってないんだよ」と。なぜか妙に記憶に残っていたのですが、ああ、まさかこんな所で出会うなんて! それは、All my life という、エラ・フィッツジェラルドの歌が流れる中、まさに柵だけが映っていました。が……

厳密には、その手前には鮮やかな花々が、そして抜けるような空が、同時に映ってもいました。そしてかわなか先生は、その二者の色の鮮やかさをおっしゃるわけです。わたしの親の場合、見ていたのが「柵ばかり」だったことと考え合わせると、かなり視点が違うのに気づかされます。

かわなか先生は、そこからユング的な「集団的無意識」の方向に踏み出しています。(「ストーリーなんかなくても、ある意味普遍的な、訴求力のあるイメージというものが存在するんじゃないでしょうか」)「柵」派の見方は、むしろ「夢」への親和というか、シュールなイメージのほうに向ってゆきます。

短編映画の孕(はら)むものって、意外に大きいみたいです。

             ◇

ご心配いただきましたタケちゃんの手術、無事終わりました。あとは回復を待つばかりです。ゆっくりいそげ!