何かを読んでいて、
そこんとこもうちょっと詳しく!
って思うこと、ありますよね。
今日は、『フランス第二帝政下のパリ都市改造』を読んでいて、
「ティエールの城壁」が作られたとき一緒に作られた、
16の外部要塞が気になりました。
その一覧と、場所が知りたくなったわけです。
もしかしたら、「デファンス(防衛)地区」という名前の由来と繋がるかも、
とも思ったし。
これがなかなか手強かったんですが、
やっとありました;
http://maps.google.com/maps/ms?hl=fr&ie=UTF8&t=k&msa=0&msid=106897635038830696900.0004867717197dc5421e7&ll=48.896324,2.349701&spn=0.27085,0.547943&z=10&source=embed
この中の、Fort ~ と書いてあるのが問題の要塞です。
(緑の四角をクリックすると、その場所が分かります。)
一目瞭然、ドイツ(プロイセン)側に厚く配備してあります。
ティエールの城壁が作られたのは、
1841-1845ですから、
日本でいえば江戸の最末期。
城しか囲ってこなかった、しかも島国育ちの人間には、
この、町も含めた「城壁」の感覚がなかなかつかめない気がします。
こうしたことは、「町」にはもちろん、
そこで暮らす人のメンタリティーにも、影響しないはずないですね……
*ペリフェリック。「ティエールの城壁」の跡地に作られた環状高速道路。
「パリ」と「それ以外」を分かつ壁。