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February 152010
清水哲男
さわやかに我なきあとの歩道かな
季節外れの句で失礼。「さわやか(爽やか)」は秋の季語。今と違ってこのページをひとりでやっていたときに、毎年の誕生日には、自分の句のことを書いていた。自句自解なんて、大それた気持ちからではない。言うならば、自己紹介みたいな位置づけだった。今年はたまたま今日に当番が回ってきたので、同じ気持ちで……。
自分の死後のことを漠然と思うことが、たまにある。べつに突き詰めた思いではないのだけれど、死は自分が物質に帰ることなのだから、実にあっけらかんとした現象だ。そこに残る当人の感情なんてあるわけはないし、すべては無と化してしまう。その無化を「さわやか」と詠んだつもりなのだが、こう詠むことは、どこかにまだ無化する自分に抗いたいという未練も含まれているようで、句そのものにはまだ覚悟の定まらない自分が明滅しているようである。
この句を同人詩誌「小酒館」に載せたとき、辻征夫が「辞世の句ができたじゃん」と言った。ならば「オレは秋に死ぬ運命だな」と応えたのだったが、その辻が先に逝ってもう十年を越す歳月が流れてしまった。この初夏、余白の仲間を中心に、辻の愛した町・浅草で偲ぶ会がもたれることになっている。『打つや太鼓』(書肆山田・2003)所収。(清水哲男)
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(見やすさのために、引用者が3部に分けました。)もとはこちら;
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