初めて『ライ麦』を読んだのは、中3の時。今思えば、それまで読んだものの中で、1番鮮烈だと感じていた気がします。で、続けて文庫も何冊か読んだ記憶もあります。そしてそうして読んだ短篇群もまた、鮮烈な印象でした。学校の読書感想文とやらにも、サリンジャーの小説のことを書きました。なんだか、一所懸命書いた記憶があります。
で高校生になって、生まれて初めて買った英語のペイパーバックが、銀色の表紙の The Catcher でした。教科書ではお目にかからない略語や隠語が、何も知らない高校生に、「これが本物の英語!」という想いを抱かせました。
わたしは多分、同じ本を再読するということが少ないほうだと思うのですが、それでも『ライ麦』は、高校の時も、大学の時も、それから村上訳が出た時も読みました。
新訳については、当時いろんな論議がありましたが、正直なところ、これはわたしにはどっちでもよかった。大事なのはThe Catcher そのものでした。
そういえば、村上訳が出た時には、当時担当していた法政大学の英文科の授業で、『ライ麦』の話をしました。(フランス語の授業だったんですけどね。)すると授業後ある女子学生が、その本を貸してくれと言いに来て、翌週貸すことになりました。で、帰ってきたのは、数ヵ月後でした。というのも、ずいぶんたくさんの学生たちに回し読まれたからです。
なんだか、まるっきり個人的な話になってしまいましたが、どうも『ライ麦』が相手だと、社会学的な読みや、分析的な切り分けをする気になりません。ま、「青春の書」、ということなんでしょうか。
ということで、R.I.P. Salinger, そして R.I.P. Holden Caulfield. (いや、ホールデンはまだ眠らないのかな……)