2020年12月21日月曜日

"house negro"

『バンリューの兄弟』の中では、
「雄弁コンクール concours d'éloquence」が開かれます。
テーマがあって、
君は肯定、きみは否定ね、
と振り分けられるので、
一種のディベートなのでしょう。
で、
映画内でのテーマは、

L'Etat set-il seul responsable dde la situationactuelle
des banlieues en France ?
(フランスの郊外の現状に責任があるのは、政府だけなのか?)

でした。
主人公は「否定」を振られ、
郊外人としての尊厳において、自らの「選択」の重要性を語ります、
肯定することは、同時に被害者意識の肯定に過ぎない、
白人層の罪悪感の軽減に過ぎない、
というわけです。
一方、「肯定」を振られた、
パリ5区育ちのブルジョワ白人、リザは、
そもそも「政府」とは誰かを問い、
そこには郊外人自身も含まれていることを指摘した上で、
「選択」と社会的流動性を称揚する主人公のことを、
マルコムXの言う house negro(naigre de maison)ではないのか、
Bounty(=外見は黒人で内面は白人)ではないのか、
と反論します。

この論理のぶつかり合いは、
アクティヴィストである監督たちの見せ場なのでしょう。
ただ……
これを「映画」で見せてくれれば、
もっとスリリングだったかもしれません。