2020年12月28日月曜日

『バッド・シード』

以前、Nous trois ou rien という映画のことを書きました。


残念ながらこの映画、
日本ではまだ簡単に見られるようにはなっていないのですが、
この作品を撮ったケイロンの、
次の作品は Netflix で見られます。

『バッド・シード』(Mauvaises Herbes)

です。


舞台はバニョレ。
30代のワエルは、そこでなかなか派手な養母(ドヌーヴ)と暮らしています。
ワエルは、子どもの頃、
(どうやらレバノン内戦において)
家族全員を失くし、孤児となりました。
彼はムスリムでしたが、やさしいシスターに保護され、
なんとか生きのびることができました。
ただ、パリで生きる今、
養母と二人で小さな詐欺を重ねて生活していて、
まともな仕事には就けていません。
そんなとき、養母が昔の友人と偶然再会します。
ワエルは、この旧友が仕切っている、
問題を抱えた中学生の教育施設で、
ヴォランティア指導員をすることになります。
そこにいたのは6人の中学生たち。
男子は、アラブ系のカリム、アフリカ系のリュド、
そしてインド系とロマ系です。
女子は、IQ140というナディアと、
ユダヤ人のシャーナです。
物語は、ワエルとこの子どもたちとの交流を中心に進んでゆきます。

Nous trois ou rien の時もそうだったのですが、
このケイロンという監督は、
泣き笑い、というか、
悲喜劇、というか、
コメディーの中に深刻な要素を埋め込み、
観客を独特な感覚に陥らせてきます。
戦争、虐殺、貧困、虐待、などが、
軽いおしゃべりの背後に流れているわけです。
この辺が、単なるコメディとは違うところでしょう。

ただ、フランスでのメディアの評価を見ると、
問題になっているのはむしろ作品のヒューマニズムです。
これを湛える評もあれば、
浅い、愚直、と切り捨てている評もあるのです。
たしかにどちらの言い分も分かります。
わたしとしては、評価する前に、
もう1作見てみたい、という感じです。

映画の冒頭、
実は『レ・ミゼラブル』でも引用されていた、
Hugo の言葉が示されます。
(オリジナル・タイトルは、ここから取られているんですが、
わたしは作品と合ってないと思います。)

Il n'y a ni mauvaises herbes, ni mauvais hommes.
Il n'y a que de mauvais cultivateurs.

この引用自体は、『レ・ミゼラブル』のほうがしっくりきます。
でも、こちらも、
十分見るに値する映画だとは思います。

(小さなことを一つ。
映画の始まりはバニョレの空撮で、
(ツイン・タワー、Les Mercuriales が見えています。)
ただ、それに続くショットがモールで、
バニョレのそれかと思いきや、
明らかにクレテイユの巨大モール、
クレテイユ・ソレイユなのです。
後で考えて、
つまりこれは、
舞台はバニョレだけど、
今はクレテイユに来ている、
ということなんだと分かりましたが、
ちょっと不親切。
2つの場所を知らなければ、同じ場所だと思うのが映画の約束で、
とはいえ、
ある程度パリに詳しくなければまず分からないからです。
ナディアはどうもクレテイユの子らしいので、
学校自体も、クレテイユにあるということなんでしょうけどね。)

あ、もう1つ思い出しました。
ここで悪徳警官役を演じているアルバン・ルノワールは、
この映画の主演でした。


この映画は、明治大学の「フランス映画の夕べ」で取り上げたので、
とても印象に残っています。