『シー・ハルク:ザ・アトニー』
を見てみました。
なかなか波に乗れない弁護士のジェニファーが、
ある交通事故を起こしたとき、
従兄弟であるハルク(!)の血に触れてしまい、
彼女もまたシー・ハルクになる、というお話です。
女性のスーパー・ヒーローものですから、
とりあえずわたしは「合格」にしちゃう(!)んですが、
実際いろいろおもしろい点もあります。
中で、なんといっても目立つのは、
このドラマの強烈なメタ感です。
『デッド・プール』も『ハウス・オブ・カーズ』も『フリーバッグ』も、
主人公が画面越しにわたしたちに話しかけてきます。
これはおもしろかった。
でも今回のジェニファー/シー・ハルクは、
話しかけてくるだけじゃなく、
物語世界とは別の「現実」(ドラマの制作部とか!)に入りこんで、
「現実」の人間達と話したりもするんです。
(ここで「第四の壁」なんていう言い回しも使われますから、
あきらかに意識してこんなことをやっているわけです。)
で、わたしたちはそれを見るわけですが、
こうなってくると、これはフィクションと現実の二重構造ではなく、
三重構造になっているのが分かります。
つまり、現実と、「現実」と、フィクションです。
こういうものそれぞれにも名前はあるのでしょうけど、
わたしは知りません!
『クルエラ』もそうだったんですが、
女性が内包する二層性、
みたいなことがテーマの1つになっています。
『クルエラ』の場合、
それは「型破りだけどやさしい娘」と、
「強烈な才能を開花させる自己本位な女性」です。
(ただ、後者が最後「やさしく」なるのが、ちょっと日和ってるかも。)
そして『シー・ハルク』の場合は、
「がんばってるに報われない善良な女性」と、
「強烈な能力を獲得した善良な女性」でしょう。
こちらは、後から獲得した能力であること、
そしてキャラがもつ価値観は変わらないこと、
が、『クルエラ』とは違います。
この辺、詳しく比較すると、
もっとおもしろいかもですね。