2011年10月23日日曜日
『ハイチ震災日記』
『帰還の謎』がおもしろかったので、
ダニー・ラフェリエールのもう1つの翻訳本、
『ハイチ震災日記』
も読んでみました。
(藤原書店から、2 冊同時刊行です。)
あの日、つまり2010年1月12日、16時53分、
ラフェリエールはハイチの首都ポルトープランスのホテル・カリブのレストランで、
仲間の編集者と一緒に、注文した海老や魚の塩焼きを待っているところでした。
そしてあの10秒。
ポルトープランスはすさまじい被害を受けます。
この「日記」は、その場にいた人間にしか書けない、
切迫した緊張感があります。が、それだけではありません。
ラフェリエールは、亡命作家として30年以上、
ハイチをモントリオールから見つめていました。
もちろん23歳まではハイチで過ごしたわけです。
だから、
彼がこの地震を語ることは、
彼のハイチを語ることにほかならないのです。
彼のハイチへの愛を、と言ってもいいかもしれません。
ハイチの歴史のことは、少しは知っていました。
先住民は、スペイン系の植民者に皆殺しにされたこと。
そこにアフリカかから黒人奴隷を連れてきて、過酷な労働を強いたこと。
そして1804年、ナポレオン軍を破り、世界初の黒人国家を作り上げたこと。
ただその後、フランスに突きつけられた賠償金に、
ハイチは長く苦しむことになるのですが。
(1つ、わたしがこの「日記」から教えられたこと。それは、
独立後のハイチを、ヨーロッパもアメリカも「ハチブ」にした、ということです。
植民者にとっては、奴隷たちが勝手に国を作って独立するなんて、
あってはならないことでした。
だから彼らはハイチを孤立させ、困窮させ、
他の植民地への見せしめにした、というのです。
なるほど。そういうことは実にありそうです。)
ラフェリエールは、子供時代には祖母から、
独立のために立ち上がった黒人の雄姿をよく聞かされた、
と書いています。
ああ、そうなんですね。
そんな作家が、33年の亡命生活後に、
あの大地震を経験するわけです。
(そして今日本人がこの本を読んで、
あの日の東北のことを重ね合わせないでいることは不可能でしょう。)
この『ハイチ震災日記』と『帰還の旅』、
2 冊合わせて読むと、ハイチがぐっと身近になります。
最後に、宇波先生の書評を;
http://uicp.blog123.fc2.com/blog-entry-175.html#