2018年1月8日月曜日

最初のラスト

さて明日から、
また授業が始まります。
とはいえ明日は「補講のみ」の日で、
通常の授業はないのですが、
わたしはまさにその「補講」 × 2なので、
明日からばっちり授業です。
しかも、大学院の「東京詩」を2コマ。
これは楽しいですが、
予習の時間もかかります。

たとえば、池袋を扱った詩に、
「想い出はサンシャイン60で」(山本博道)があります。
この詩の中には、
サンシャイン60から俯瞰されたもろもろ、
筑波山から伊豆半島から、
雑司ヶ谷公園、六つ又交差点、水道橋……
などが登場します。
で、以前は、これを地図ないし写真で確認していたわけですが、
今や、グーグルアースがあるので、
なんとも心強いです。
明日の授業では、この池袋と、
佃島が重要ポイントです。
佃島は、もちろん、あれです。

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佃渡しで            吉本隆明



佃渡しで娘がいつた
〈水がきれいね 夏に行つた海岸のように〉
そんなことはない みてみな
繋がれた河蒸気のとものところに
芥がたまつて揺れてるのがみえるだろう
ずつと昔からそうだつた
〈これからは娘に聴えぬ胸のなかでいう〉

水は 𪐷(くろ)くてあまり流れない 氷雨の空の下で

おおきな下水道のようにくねつているのは老齢期の河のしるしだ
この河の入りくんだ掘割のあいだに
ひとつの街がありそこで住んでいた
蟹はまだ生きていてそれをとりに行つた
そして沼泥に足をふみこんで泳いだ

佃渡しで娘がいつた
〈あの鳥はなに?〉
〈かもめだよ〉
〈ちがうあの黒い方の鳥よ〉
あれは鳶だろう
むかしもそれはいた
流れてくる鼠の死骸や魚の綿腹(わた)を
ついばむためにかもめの仲間で舞つていた
〈これからさきは娘にきこえぬ胸のなかでいう〉
水に囲まれた生活というのは
いつでもちよつとした砦のような感じで
夢のなかで掘割はいつもあらわれる
橋という橋は何のためにあつたか?
少年が欄干に手をかけ身をのりだして
悲しみがあれば流すためにあつた

あれが住吉神社だ
佃祭りをやるところだ
あれが小学校 ちいさいだろう〉
これからさきは娘に云えぬ
昔の街はちいさくみえる
掌のひらの感情と頭脳と生命の線のあいだの窪みにはいつて
しまうように
すべての距離がちいさくみえる
すべての思想とおなじように
あの昔遠かつた距離がちぢまつてみえる
わたしが生きてきた道を
娘の手をとり いま氷雨にぬれながら
いつさんに通りすぎる

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そんなことはない みてみな……

いいですね。