2021年11月14日日曜日

「コンテンポラリー・リリックの世界」

現代詩手帖で、
不定期(?)に連載されているこのシリーズ、
トヨザキ社長と広瀬大志さんの対談形式なんですが、
今回(11月号)のは、
なかなか読み応えがありました。
これはつまり、
いわゆる「詩」の世界と、
歌謡曲~J-POP的な「歌詞」の世界との、
分岐したり合流したりする関係を読み解こうとする試みです。

まず、1つの足がかりとされている、
吉本隆明の「戦後詩」解釈があるんですが、
(平出隆の「吹上坂」と、さだまさしの「無縁坂」の間に、
決定的な違いはないんだ、という指摘)
これは、ここでも展開されている論議です。


で……

ここで広瀬氏が示している説は、
全面的に賛成、とはいきませんでしたが、
少なくとも、とてもおもしろいと思いました。

まず、
「戦前の詩は、近代史の流れと歌謡曲の流れがリンクしていて、
北原白秋にしても西條八十にしても、
詩が自然と定型的な歌になっています」
というわけですが、
なるほど「鉄道唱歌」にしたところで、
「リンク」した地点に成立しているとも言えそうです。

そして戦後については、
「荒地」と「歌謡文芸」が、
「列島」と「新歌謡界」が、
それぞれ同じ年の出版である(なんと!)ことを踏まえて、
そこにある「分岐」の徴を読み取ります。
なるほどね~

でその後は、1970年代から現在まで、
代表的な「歌詞」の読み込みを中心に、
この流れの跡をたどるのですが、
1つのエポックとされているのは椎名林檎で、
彼女の登場は、
分岐の合流を意味しているとされるのです。
これはいわれてみれば、
たしかにそんな印象もあります。
(『東京詩』を書くとき、
入れようかどうしようか、
最後まで迷ったのが「歌舞伎町の女王」でした。)

そしてここ数十年ほどの「代表曲」については、
わたしが知らないものも複数混じっていたので、
さっそく YouTube で勉強しました。
正直言って、
ここで褒められているほどとは感じないものもありましたが、
でも、とてもおもしろかったです。
1つだけ例を挙げるなら、これかな。


明媚 洛上 折々の
汲み取るストイック 不安だけ
浮世さ
負う 鎮火 鎮火

というのがサビですが、
これ、空耳が起きるのを計算して作っているそうです。
たしかに、英語混じりの、
別の言葉に聞こえます。
(まあ、ギャグ、っていうレベルにも聞こえますけど!)

次回も楽しみです。